14 蓮華寺と一宮の鋳物師

更新日:2019年03月05日

 中世における現町域内には、無論遠江の一宮社が存在したが、それにはさまざまな人々が従っていた。その一つに鋳物師(いもじ)と呼ばれる工人が一宮荘内に居た。鋳物師は金属をとかし、諸種(しょしゅ)の型に入れて、武器や各種の仏像・鏡・釣鐘・鰐口(わにぐち)・鍋・釜などを鋳造(ちゅうぞう)した。彼らは戦国時代には一宮の社僧蓮華寺等の支配下にあり、西脇に居住していた。伝承では西脇の近くの西金谷にも居たという。1428年(正長元年)以降に鋳造したいくつかの釣鐘が知られている。
 森と言う地名は中世以降に登場するが、一般化するのは1563年( 永禄 ( えいろく ) 6年)以降である。元来、森は太田郷と呼ばれていたが、蓮華寺門前に市が立ち、森山(三嶋山)の 麓 ( ふもと ) に市場 聚落 ( じゅらく ) が形成され、その辺を 森村 ( もりむら ) ・ 森郷 ( もりのごう ) と言うようになった。

 森は交通上の要地であるため、永禄年間今川氏は関を置いた。森は遠江の山間地域と平野部を結ぶ接点に位置する。すなわち、森から北上する道(信州街道)・川根筋(家山・下長尾(しもながお))へ抜ける道、また、南部へ向かう道(掛川・見付・浜松)もあり、南北・東西の道の交叉する地点にある。
 戦国期の森は地域経済の中核であったと思われる。したがってこの地を治めていた者(市場に関係する者か、蓮華寺なのか)は経済的に豊かであったようで、たくさんの銭を貯えていた。平成3年西脇で発見された7万枚余りの古銭はそれを物語っている。そのほとんどは中国銭を日本で模造した模鋳銭(もちゅうせん)で、銭を入れた甕(かめ)は16世紀前半頃に造られたものと考えられる。

(1)鋳物師 鋳鐘 ( いりがね ) 之図

鋳物師の仕事の様子を描いた絵

鋳物師などの職人たちの活動を描いた「歓喜天霊験記」は、中世の鋳物師の様子を知る唯一のものである。この絵はのちに描かれたものである。
 (森町 個人所蔵)

(2)西金谷八幡宮

西金谷八幡宮の写真

西金谷には八幡宮の檀那田辺氏(だんなたなべし)が
居住、同氏は森郷の鋳物師の1軒である。
八幡宮は鋳物師の守護神であり、蓮華寺内八所八幡の1社であると伝えられる。
(森町森 西金谷)

(3)霊山寺 鐘銘 ( しょうめい )

霊山寺 鐘銘 ( しょうめい )の写真

1364年(貞治3年)国府(見附)蓮光寺の鐘が鋳造され、一宮西願・崇一の両鋳物師がかかわったことがわかる。
(沼津市 霊山寺所蔵)

(4)山名郡下和口阿弥陀堂旧蔵鐘銘写

山名郡下和口阿弥陀堂旧蔵鐘銘写の画像

1437年(永享9年)に奉納された鐘銘の写で、大工一宮森左衛門などの名前がみえる。
(「遠江国見艸」 森町円田個人所蔵)

(5)賀茂神社鰐口

賀茂神社鰐口の写真

1487年(文明19年)飯田荘戸和田郷の大檀那藤原通国の名前が陰刻されている。
(森町睦実 賀茂神社所蔵)

(6)片吹天王社鰐口

片吹天王社鰐口の写真

1460年(長禄4年)に奉納されたもので、地方の鋳物師によって造られたものと思われる。
(森町森 個人保管)

(7)蓮華寺山と森の街

蓮華寺山と森の街の風景写真

(森町さざんか荘から 平成10年4月4日撮影)

(8)今川義元判物

今川義元判物の写真

今川氏は蓮華寺に金屋支配を承認した。
(森町森蓮華寺所蔵)

(9)埋蔵銭

積みあがった埋蔵銭の写真

平成3年6月11日、森町大門字西脇西之海戸から出土した7万609枚の古銭は調査上の枚数で、実質的にはこれをうわまわる数である。
(森町教育委員会保管)

(10)太田郷 (森町市街) 空撮

太田郷 (森町市街) 空撮写真

山間部から平野部に出る口にあたる森は、「二俣口」と並んで信州街道の「森口」と言われた。
(平成7年4月1日撮影)

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