15 大洞院6派の展開
現在、遠州の仏教寺院を数の上から見ると曹洞宗が圧倒的に多いと言われる。何故そうなったかと言うと、15世紀後半から17世紀前半にかけて、寺院が開かれたり、旧来からの寺院が曹洞宗に改宗されたことによる。その頃の曹洞宗教団の宗風は布教の対象を、国人や土豪だけでなく一般民衆にまで目をむけたからである。遠江、或いは東海地方に曹洞宗教団の発展する基礎をつくったのは如仲天?(王へんに光)(じょちゅうてんぎん)(1365年<貞治4年>~1437年<永享9年>)で、その拠点となったのが大洞院(だいとういん)であった。
如仲は信濃国の生まれで、9歳で仏門に入り、のちに越前国(福井県)平田山竜沢寺 梅山聞本 ( ばいさんもんぽん ) の許で印可を受けた。如仲の遠江への布教は、当時、遠江国の守護が今川氏から 斯波氏 ( しばし ) へ交替しており、
越前守護でもあった斯波氏の意向に沿うものであったに相違ない。
如仲の門下から優れた僧侶が輩出されたが、特に 喜山性讃 ( きざんしょうさん ) (喜山派)・ 真厳道空 ( しんがんどうくう ) (真厳派)・ 物外性応 ( もつがいしょうおう ) (物外派)・ 大輝霊曜 ( たいきりょうよう ) (大輝派)・ 不琢玄珪 ( ふたくげんけい ) (不琢派中田雲林寺)・ 石叟円柱 ( せきそうえんちゅう ) (石叟派飯田崇信寺)の6人は、それぞれ寺を開き、如仲を 勧請 ( かんじょう ) 開山とし、自らは二世となり、教線を拡大していった。とくにその中の2人の拠点とした寺院は現在も町内にある。
曹洞宗発展の理由の1つに葬祭と授戒会(じゅかいえ)があり、これらは禅僧が直接民衆1人1人と因縁を結んだもので、従来の諸宗教が満たしてくれない禅僧が持っていた機能であった。
(1) 如仲天?(王へんに光) ( じょちゅうてんぎん ) 禅師画像
(2)如仲庵跡の発掘
図−20 曹洞宗如仲派略系譜
(3)橘谷山大洞院
(5)真厳派高雲寺
(6) 不琢 ( ふたく ) 派雲林寺
(7)如仲禅師木像
(9)飯田山崇信寺
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更新日:2019年03月05日