16 国人領主天方道芬
今川氏親による遠江征圧は1517年(永正14年)に成就し、約20年余にわたる争乱(そうらん)は終了し、遠江は今川氏の領国となる。今川氏は氏親(うじちか)−氏輝(うじてる)−義元(よしもと)−氏眞(うじざね)と続き、その間、「今川仮名目録」と言う分国法を制定するなど、領国支配を整え、最盛期には駿河・遠江・三河の3ヵ国を支配する東海地方の有力な戦国大名であった。今川氏滅亡後、武田・徳川両氏の抗争が続く。
町域の 国人 ( こくじん ) 、 土豪 ( どごう ) も今川氏の家臣団に結成された。戦国武士は千軍万馬の 巷 ( ちまた ) にあり、教養に乏しかったように思われるかもしれないが、決してそうではない例として、天方郷辺を治めた国人領主 天方道芬 ( あまがたどうふん ) がいる。道芬は法名、 諱 ( いみな ) を 道季 ( みちすえ ) と言い、天方蔵雲院を開いた人物である。道芬は、当代一流の文人三条西 実隆 ( さねたか ) に和歌を習い、
1524年(大永4年)、同6年上洛、実隆邸を7回訪ね、そこで著名な連歌師(れんがし)と席を同じくした事もあった。また、彼は、仁和寺の、尊海(そんかい)と言う高僧とも親交があったようである。
道芬のように上洛して学習するような武士は沢山いたとは思えないが、15世紀後半の遠江の状況を記した『 円通松堂 ( えんつうしょうどう ) 禅師語録』に 拠 ( よ ) ると、和歌・漢詩を 嗜 ( たしな ) む国人・土豪は沢山いる。戸綿郷の領主山内三郎通種(飯田系山内氏)・通信・相順兄弟等である。また、室町期一宮庄に拠る、幕府の奉公衆武藤 用定 ( もちさだ ) の都での文化的活動はよく知られており、遠江でも文化的下地はあったのであろう。
道芬は実隆に進物として、葛(くず)・茜(あかね)・椎茸(しいたけ)・茶を贈っており、土地の産物が知られる。
(1)今川氏親木像
(3)今川氏親禁制
(4)今川家朱印状
(6)伝天方氏三代の墓
(8)棟札
(9)武藤氏の館跡
(10)大須賀康高判物
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更新日:2019年03月05日