24 森町の産業
森町村は、秋葉街道の主要な宿場であり、北遠の茶・木材・椎茸などの集散地(しゅうさんち)として、人や物の移動が多かった。現在も残る古い街並みや土蔵(どぞう)に、当時の面影を見ることができる。
1830年(文政13年)当時の森町村は家数358軒があり、内訳は百姓141軒、商人149軒、旅籠屋4軒、諸職人40軒、医師2軒、座頭2軒という内訳であった。また、月6回の市が立ち、市日以外は山方へ出入りし、古着類をはじめ各種の品を売りさばく、農閑期を利用して商売を行う者もいた。
近世の森町は「古着の町」とも呼ばれた。当時、大石屋・山中屋をはじめとする大小数十軒の古着を扱う商家があり、全国の古着相場を左右していたともいわれる。
伊勢・松坂・名古屋・岡崎などから仕入れ、府中(静岡)・沼津・三島・御殿場・甲府をはじめ、江戸や三陸地方にも販路を持っていた。
山間部では、茶や椎茸の栽培が盛んであった。茶は、近世前期には主要な商品作物として栽培されていた。森の茶は、江戸では「遠州の安倍茶」として販売された。1824年(文政7年)には茶の販路独占と不正取引をめぐる訴訟も引き起こされている。幕末の横浜開港後は主要な輸出品となり、大量の茶が横浜に送られた。また、椎茸は、原木が豊富な北遠地域に伊豆天城山の椎茸師が目をつけ、栽培を始めたことから広まったのである。
(1)古い街並と三島山の絵図
(2)大石屋土蔵
(3)大石家看板
(4)大石家土蔵
(5)古手番附帳
(6)縞見本
(7)本町の商家
(8)茶の栽培
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更新日:2019年03月05日