24 森町の産業

更新日:2019年03月05日

森町村は、秋葉街道の主要な宿場であり、北遠の茶・木材・椎茸などの集散地(しゅうさんち)として、人や物の移動が多かった。現在も残る古い街並みや土蔵(どぞう)に、当時の面影を見ることができる。
1830年(文政13年)当時の森町村は家数358軒があり、内訳は百姓141軒、商人149軒、旅籠屋4軒、諸職人40軒、医師2軒、座頭2軒という内訳であった。また、月6回の市が立ち、市日以外は山方へ出入りし、古着類をはじめ各種の品を売りさばく、農閑期を利用して商売を行う者もいた。
近世の森町は「古着の町」とも呼ばれた。当時、大石屋・山中屋をはじめとする大小数十軒の古着を扱う商家があり、全国の古着相場を左右していたともいわれる。

伊勢・松坂・名古屋・岡崎などから仕入れ、府中(静岡)・沼津・三島・御殿場・甲府をはじめ、江戸や三陸地方にも販路を持っていた。
山間部では、茶や椎茸の栽培が盛んであった。茶は、近世前期には主要な商品作物として栽培されていた。森の茶は、江戸では「遠州の安倍茶」として販売された。1824年(文政7年)には茶の販路独占と不正取引をめぐる訴訟も引き起こされている。幕末の横浜開港後は主要な輸出品となり、大量の茶が横浜に送られた。また、椎茸は、原木が豊富な北遠地域に伊豆天城山の椎茸師が目をつけ、栽培を始めたことから広まったのである。

(1)古い街並と三島山の絵図

古い街並と三島山の絵図

森町は、掛川宿から秋葉山にいたる秋葉街道の沿道にあたる。 商家・旅籠も多くあったことから、にぎわいをみせていた。 町内には現在も当時をしのばせる家並みや土蔵をはじめ、古い街並みを見ることができる。
(森町森 梅林院所蔵)

(2)大石屋土蔵

大石屋土蔵の数々の写真

土蔵は、盗難や火災に備えて、四面を漆喰(しっくい)などで塗り固めた倉庫である。 現在も町内に古い土蔵をいくつか見ることができる。 土蔵の数は、その富勢(ふせい)を示すものとなり、宿場町として栄えた森町村の様子をうかがうことができる。 大石家は、屋敷内に5つの土蔵を持つ町内でも有数の商家で、現在でも母屋とともに当時の繁盛ぶりが重厚な造りによってしのばれる。
(森町森 本町)

(3)大石家看板

大石家看板の写真

大石家は、1825年(文政8年)に古着商いをはじめた。 小袖・羽織・布団や一般の古着だけでなく諸宗派の袈裟なども扱っており、江戸や三陸方面にも広く販路を確保していた。
(森町森 個人所蔵)

(4)大石家土蔵

大石家土蔵の外観画像

観音開きの窓は幾重にも塗られた手の込んだものである。 湿気を除けるために開き戸の内には横引きの内戸も付けている。
(森町森 個人所有)

(5)古手番附帳

古手番附帳の写真

本町山中家は、村役人を勤めた商家で、古着に関する多くの史料を伝えている。
(森町森 個人所蔵)

(6)縞見本

商品の生地の縞見本の写真

三倉の小野家は山間地の商人であった。 これは、山の産物を町場に出し、町場の産物が山間地にも多く入ってきたことを知る資料である。
(森町三倉 個人所蔵)

(7)本町の商家

本町の商家の外観画像

商家の取り扱った産物は、茶・椎茸・古着・炭・材木・森紙など多岐にわたっている。

(8)茶の栽培

茶畑の写真

17世紀中ころには、三倉などでも商品作物として栽培されていた。 1824年(文政7年)に始まる、「文政茶一件」などを通じて江戸問屋で販路独占をたたかいながら、茶業の確率を達成した。

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