27 近世森の学芸
和歌
室町後期には 藤原通種 ( ふじわらのみちたね ) 、同 通泰 ( みちやす ) が歌を 善 ( よ ) くし天方城主天方 通季 ( みちすえ ) は京都の公卿に和歌を学び、 仁和寺 ( にんなじ ) の僧と 連歌 ( れんが ) 興行 ( こうぎょう ) をしているが、江戸期には国学が 興 ( おこ ) って一宮神主の 小國重年 ( おくにしげとし ) 、天宮神主の中村 乗高 ( のりたか ) 、粟倉村の堀尾 房守 ( ふさもり ) が出た。重年の著『 長歌詞珠衣 ( ながうたことばのたまぎぬ ) 』は今日なお、学界の評価が高い。後期になると、掛川在石川 依平 ( よりひら ) の門流で花の時代を迎えた。中村 豊足 ( とよたり ) 、小國 重友 ( しげとも ) 、新貝 直蔭 ( なおかげ ) が主な門人で、その余脈は現代まで続いた。
俳諧
元禄期の俳諧に森の献句者22人が見える。遠州は芭蕉の孫弟子大田 巴静 ( はせい ) によって蕉門が普及したといわれ、句集にも森の俳人が散見できるようになる。雪中庵 蓼太 ( りょうた ) は森の 蓼主 ( たでぬし ) 、其時雨(以席)、菊平と江戸で歌仙を巻いたが、この3人は雪門の 弘布 ( ぐふ ) で活躍した。 山中菊平は、呉春(ごしゅん)・菊守(きくもり)と大島完来(かんらい)を招いて学んだが、岡野如圭(じょけい)は雪門の秘伝書を伝授された。以後も旦那衆の風雅な嗜(たしなみ)とされてきたが、逐次(ちくじ)大衆まで広まり、近代では富田秀甫(しゅうほ)を出した。
弓術
弓は武士以外は禁じられていたが、駿・遠・参の3か国に限って公認されていたので、名主などの有力階層に普及した。流派は日置流印西派(へきりゅういんさいは)で、江戸前期に牛飼村の寺田作左衛門が吉田如玄(じょげん)から弓許状(ゆみきょじょう)を伝授されて以来、累代弓の師家として多くの門弟を育て、その門から草ヶ谷村の小澤治重(はるしげ)を出した。明治から大正にかけては、範士奥村久忠の三河系印西派の跡を継いだ天宮の河合治明(はるあき)の活躍がめざましく、その余韻は現在に及んでいる。
堀尾房守短冊
中村乗高短冊
小國重年短冊
(4)小國重年の歌格研究書 「長歌言葉珠衣」
(7)三嶋神社奉納額
(8)岡野如圭短冊
(9)日置流嫡伝系図
(10)弓道許状
(11)投げ矢と平根・雁股(かりまた )の鏃(やじり)
(12)弓の鏃
(13)日置流鳴弦の秘巻
このページに関する
お問い合わせ先Inquiry
社会教育課 文化振興係
〒437-0215
静岡県周智郡森町森92-1
電話番号:0538-85-1114
メールでのお問い合わせはこちら
更新日:2019年03月05日