26 秋葉信仰と森町
秋葉山(秋葉寺(しゅうようじ)とその守護神・三尺坊大権現)が火防の神として有名になったのは、江戸時代に入ってからである。秋葉山は庶民だけではなく、武士の間にも信者を得ていた。武将たちは、刀剣などを奉納して戦勝を祈願したことであろう。一般庶民は、主として秋葉講(あきはこう)という組織をつくって秋葉山に代参し、家内(講中)安全と火災消除を祈念し、火防(かぼう)の御礼をもらってきて、講中で秋葉講お日待(ひまち)を行ったものである。秋葉講の講社の数は、盛時には全国で3万余を数えるほどあった。このころ森の町筋は大勢の秋葉道者(どうしゃ)でにぎわったといわれている。
秋葉信仰の 証(あかし)として目にとまるものに秋葉山常夜灯がある。 遠江(とおとうみ)各地の秋葉道(あきはみち) (秋葉山への参詣道)沿いに今も数多く残っている。 石だけのものから覆いをもつものなどいろいろある。時代が下がるにつれて手のこんだ立派なものになってきている。村人の手によって毎夜灯明がともされ、道行く人の便も図られた。また要所要所には秋葉山道しるべも立てられた。江戸講中が立てたものもあるが、個人が立てたものもある。苔(こけ)むし、風化したものもあるが、立てた人たちの心がしのばれる。
秋葉道は信仰の道としてだけでなく、生活の道、政治の道、経済・文化等の交易の道でもあった。森町村は秋葉道の中核的宿場として、人馬の継立て、生活用品の集散地、六斎市(ろくさいいち)(3と9の日、月6回の市)も開かれ、往還(おうかん)沿いは商家を連ね、旅籠屋(はたごや)も多かった。茶・古着商の活躍はめざましく、全国的に名を知られていた。
図−25 遠江国の街道・脇街道等の図
表−9 森町村の生業別家数表
生業 | 家数 | 割合(%) |
---|---|---|
百姓 | 141 | 39.4 |
商人 | 149 | 41.6 |
旅籠屋 | 24 | 6.7 |
諸職人 | 40 | 11.2 |
医師 | 2 | 0.6 |
座頭 | 2 | 0.6 |
計 | 358 |
(1)秋葉山の図
坂下から山頂にかけては雲がかかり距離が省かれている。 (森町天宮 個人所蔵)
(2)秋葉山常夜灯
表−10 森町域に現存する秋葉山常夜灯の分布表
形態 | 建立地 |
---|---|
堂入(13) | 下飯田、東組、鴨谷、大門、城下、薄場、草ヶ谷、中田、赤根、宮代東、大鳥居、黒石、西俣 |
灯籠( 7) | 北戸綿、谷川、粟倉(岳進)、米倉、鍛冶島、黒田、三倉(大府川) |
残片( 3) | 西組、上橘、粟倉(八雲神社) |
表−11 森町域に現存する秋葉山道標の分布表
建立者 | 建立地 |
---|---|
江戸講中(4) | 下宿(森川橋たもと)、黒石、黒田、田能 |
個人(11) | 上飯田(3)、戸綿(歴史民俗資料館前庭に移転)、天宮・万正寺入口、天宮大上、橘・大洞院前、上橘、谷中(歴史民俗資料館前庭に移転)、宮代・小國神社宮奥、乙丸花立 |
(3)四十八瀬渡り
(4)天宮万松寺口道標
(5)入船亭座敷と廊下
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更新日:2019年03月05日