29 報徳報本社の成立と地域社会
幕末、二宮尊徳は荒廃した北関東の農村復興を行った。尊徳の方法は、支出に限度を定め(分度)、真心を尽くし(至誠(しせい))、勤勉に働き節約して(勤倹(きんけん))、そうして生じた剰余を借金の返済や貯蓄に回す(推譲)というものであった。この思想や実践方法を「報徳」といい、それを実行する結社を「報徳社」という。報徳運動は、静岡県西部地域において急速に発展し、明治後期には全国的な運動となった。
報徳運動は、大きく8系統(本社)に分かれ、発展し、それぞれに独自に展開した。森町に設立された報本社も8本社のひとつであった。1852年(嘉永5年)閏2月、新村里助らにより森町報徳社が設立された。里助と養子里三郎らは、報徳普及に努め、森町地域にも報徳社が 簇生 ( ぞくせい ) した。 95年遠江国報徳社との教義(きょうぎ)理解の違いから、森町報徳社を中心に報本社が設立された。1906年(明治39年)で32社が所属している。
報徳社では、教義の学習のほかに報徳金の貸付や農事改良の話し合いなどが行われた。しかし、信用組合や農会が組織され、日露戦争前後から政府により、「自力更生」を唱える報徳思想が宣伝されると、報徳社も公共性、精神性を強めていった。報徳社の公共性、精神性は民力涵養(かんよう)運動、自力更生運動、国民精神総動員運動などが展開する中でさらに強まり、教化団体としてそれらの推進に協力した。報本社が大日本報徳社に合同した後、森町には森報徳館がおかれ、現在でも活動が続けられている。
(1)報徳本社講堂
(2)福山瀧助日記
(3)大鳥居村三才現量(げんりょう)鏡
(5)安居院庄七画像
(4)二宮尊徳像
(6)新村里三郎画像
表−14 森町域の報徳社一覧表(1906年現在)
設立年月 | 報徳社名 | 所在地 | 社員数 |
---|---|---|---|
1867年 | 森町報徳社 | 周智郡森町 | 25人 |
1876年 | 谷中報徳社 | 周智郡園田村 | 32人 |
1876年 | 大門報徳社 | 周智郡森町 | 22人 |
1878年 | 草ヶ谷報徳社 | 周智郡園田村 | 27人 |
1878年 | 円田報徳社 | 周智郡園田村 | 51人 |
1878年 | 大鳥居報徳社 | 周智郡天方村 | 8人 |
1878年 | 伏間報徳社 | 周智郡一宮村 | 15人 |
1878年 | 向天方報徳社 | 周智郡森町 | 45人 |
1880年 | 上川原報徳社 | 周智郡園田村 | 6人 |
1880年 | 天宮報徳社 | 周智郡森町 | 27人 |
1893年 | 鍛冶島報徳社 | 周智郡天方村 | 17人 |
不明 | 森本町報徳社 | 周智郡森町 | 12人 |
不明 | 森町下組報徳社 | 周智郡森町 | 23人 |
設立年月 | 報徳社名 | 所在地 | 社員数 |
---|---|---|---|
1878年11月 | 飯田上社 | 周智郡飯田村 | 82人 |
1879年11月 | 飯田下社 | 周智郡飯田村 | 55人 |
設立年月 | 報徳社名 | 所在地 | 社員数 |
---|---|---|---|
1884年8月 | 米倉報徳社 | 周智郡一宮村 | 38人 |
1884年2月 | 下天方報徳社 | 周智郡飯田村 | 22人 |
1886年10月 | 城下報徳社 | 周智郡森町 | 45人 |
1888年9月 | 黒石報徳社 | 周智郡天方村 | 31人 |
1895年11月 | 黒田報徳社 | 周智郡三倉村 | 29人 |
1895年11月 | 中村報徳社 | 周智郡三倉村 | 12人 |
1895年11月 | 大府川報徳社 | 周智郡三倉村 | 19人 |
1896年7月 | 西ヶ峰報徳社 | 周智郡三倉村 | 12人 |
- 静岡県『静岡県報徳社事蹟』(明治39年4月刊)より作成。
- 報徳報本社所属報徳社の「設立年月」は「大日本報徳社配下旧森町報本社所属各社調」中の「周智郡森町報本社系報徳社各社調(昭和五年四月現在)」による。
- 遠江国報徳社所属報徳社の「設立年月」は、遠江国報徳社「明治参拾五年度各町村報徳社現量鏡表」中の「本社許可年月」による。
- 報徳遠譲社所属報徳社の「設立年月」は、遠江国報徳遠譲社・三河国報徳社「昭和十戊寅年十月現在報徳無利息趣法金明細書」による。(足立洋一郎一覧表作成)
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更新日:2019年03月05日