14 蓮華寺と一宮の鋳物師
中世における現町域内には、無論遠江の一宮社が存在したが、それにはさまざまな人々が従っていた。その一つに鋳物師(いもじ)と呼ばれる工人が一宮荘内に居た。鋳物師は金属をとかし、諸種(しょしゅ)の型に入れて、武器や各種の仏像・鏡・釣鐘・鰐口(わにぐち)・鍋・釜などを鋳造(ちゅうぞう)した。彼らは戦国時代には一宮の社僧蓮華寺等の支配下にあり、西脇に居住していた。伝承では西脇の近くの西金谷にも居たという。1428年(正長元年)以降に鋳造したいくつかの釣鐘が知られている。
森と言う地名は中世以降に登場するが、一般化するのは1563年( 永禄 ( えいろく ) 6年)以降である。元来、森は太田郷と呼ばれていたが、蓮華寺門前に市が立ち、森山(三嶋山)の 麓 ( ふもと ) に市場 聚落 ( じゅらく ) が形成され、その辺を 森村 ( もりむら ) ・ 森郷 ( もりのごう ) と言うようになった。
森は交通上の要地であるため、永禄年間今川氏は関を置いた。森は遠江の山間地域と平野部を結ぶ接点に位置する。すなわち、森から北上する道(信州街道)・川根筋(家山・下長尾(しもながお))へ抜ける道、また、南部へ向かう道(掛川・見付・浜松)もあり、南北・東西の道の交叉する地点にある。
戦国期の森は地域経済の中核であったと思われる。したがってこの地を治めていた者(市場に関係する者か、蓮華寺なのか)は経済的に豊かであったようで、たくさんの銭を貯えていた。平成3年西脇で発見された7万枚余りの古銭はそれを物語っている。そのほとんどは中国銭を日本で模造した模鋳銭(もちゅうせん)で、銭を入れた甕(かめ)は16世紀前半頃に造られたものと考えられる。
(1)鋳物師 鋳鐘 ( いりがね ) 之図
(2)西金谷八幡宮
(3)霊山寺 鐘銘 ( しょうめい )
(4)山名郡下和口阿弥陀堂旧蔵鐘銘写
(5)賀茂神社鰐口
(6)片吹天王社鰐口
(7)蓮華寺山と森の街
(8)今川義元判物
(9)埋蔵銭
(10)太田郷 (森町市街) 空撮
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更新日:2019年03月05日