32 昭和経済恐慌下の森町
森町地域は林業の村を抱え、他方では畑作を含む水田も多く存在する農山村地域という性格をもっていた。さすがに大正後期になると、林業経営も低迷し、かつてのような商工業物資の集散地としての役割も低下を始めていた。このため宿場町としての活発さも失われていった。しかも川を利用する運輸もその役割を鉄道などの陸上交通に取って代わられた。昭和経済恐慌は、1929年(昭和7年)秋のニューヨーク株式市場の大暴落がその合図となり、日本の命綱であった生糸のアメリカ向け輸出の破綻がきっかけとなり、特に農業地域では約10年にも及ぶ農村不況の淵に苦しんだ。製糸業、綿糸紡績業のほかほとんどの工業分野が恐慌に陥った。
第一次世界大戦後のバブルに酔いしれていた金融機関の整理も、
1927年(昭和5年)に立法化された銀行法によって、大規模に振興し、図に示したように、森町銀行や飯田銀行、天宮銀行などの零細(れいさい)銀行の整理と合併が行われる一方、小学校教員給与の引き下げ、教員定数の切り下げ、学級定数の削減などが行われた。この不況を克服するために、人々は米作や生糸に頼るだけではなく、次郎柿、菜種、レンゲ草などをはじめ、花卉(かき)、野菜など現金作物に取り組んでいった。政府も「副業奨励」政策を推進したのである。もっともこれらの政策ではとうてい不況に抗(こう)することはできず、時局匡救(じきょくきょうきゅう)事業、農山漁村経済更生運動などの補助金政策による農道、水利事業等を取り組むことで、地域の労働力を雇用するなどの対応もなされた。
(1)現在の太田川
(2)太田川築堤及び用水工事
(3)天方村経済更正計画書
(4)農村救済事業の記念石碑
図-27森町地域の銀行の移り変わり
銀行の移り変わり
- 1882年(明治15年)12月森町銀行(森本町大石徳太郎)
- 1883年(明治16年)6月飯田銀行(飯田市場村松孫平)
- 1930年(昭和5年)5月中和銀行
- 1937年(昭和12年)3月静岡三十五銀行
- 1943年(昭和18年)3月静岡銀行
- 1897年(明治30年)4月天宮銀行(下飯田村松五郎馬)
- 1942年(昭和17年)4月遠州銀行
- 1943年(昭和18年)3月静岡銀行
(5)飯田銀行
(6)天宮銀行
(7)三嶋神社 御輿 ( みこし )
(8)松井善平氏
(9)御渡り
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更新日:2019年03月05日