38 一宮の田遊び・神楽舞
一宮の田遊び
小國神社の田遊びは、いたって簡素なもので、 詞章 ( ししょう ) を唱えることを基本としている。 修正会 ( しゅしょうえ ) の行事として、毎年正月3日の午後に 舞殿 ( まいどの ) で行なわれ、演者は神社抱えの直属の 社家 ( しゃけ ) であり、現在もその後裔 ( こうえい ) の方々が奉仕している。
黒の 烏帽子 ( えぼし ) に 下垂 ( したたれ ) の白い装束、しら 鍬 ( くわ ) ・ 畔 ( あぜ ) ぬり・ 代掻牛 ( しろかきうし ) ・ 苗草 ( なえくさ ) せおい・ 苗草蒔 ( なえくさまき ) ・苗草ふみ・ 種蒔 ( たねまき ) ・ 祝詞 ( のりと ) ・ 苗讃 ( なえほめ ) ・ 世などやう ( よなどよう ) ・ 鳥追 ( とりおい ) ・歌おろしの全12段の構成で田植え前まで仕事を 予祝 ( よしゅく ) する。
起源は、遠江が、鎌倉幕府の息の掛かった関東 御分 ( ごぶん ) 国で、関東や東海周辺に伝承する田遊の詞章に、小國神社に類似する部分がいくつか見られることや、荘園組織の構成を 窺 ( うかが ) う「 本家 ( ほんけ ) ・ 粟倉殿 ( あわぐらどの ) 」などの内容から、鎌倉期に、幕府が統制下の一宮の祈願として伝えたものであるといえよう。
また、神宮寺側にも「 修正会導師法則 ( しゅしょうえどうしのほうそく ) 」の記録が残存し、神仏一体の修正会が執り行われていた。
小國・天宮の神楽舞
小國神社の 神楽 ( かぐら ) は、「いちっこ」と呼ばれる 巫女 ( みこ ) の舞で、神楽の 呪文 ( じゅもん ) も伝えられている。宮代の大場新右衛門家の伝承では、「当家の娘が、小國社に出る 狒々 ( ひひ ) に 人身御供 ( ひとみごくう ) されそうになり、武士がやって来て 唐櫃 ( からひつ ) に入って身代わりとなり、狒々を退治した」という。これは、「いちっこ」が生涯神社に仕えるシャーマンであったことを物語るものであろう。
一宮神楽咒文(じゅもん)
神楽咒文 ( かぐらじゅもん ) 根本印 ( こんぽんいん )
阿波礼 ( あわれ ) 阿那於毛志呂 ( あなおもしろ )
阿南多乃志 ( あなたのし ) 阿那佐屋気 ( あなさやけ )
於気 ( おき ) 云 ( うん ) 云 ( ぬん )
江戸時代には、4人の巫女が神社に仕えていたが、明治以降は、約10歳の女子が 山表 ( やまおもて ) (円田郷)で2人、 山後 ( やまうし ) ろ(宮代など)で2人選ばれて例祭に奉仕している。
舞の指南は、代々宮代の原田家の当主で、例祭前の3日間で習得し、現在は 神幸御旅所 ( しんこうおたびしょ ) で1回、 環御 ( かんぎょ ) で1回舞われている。右手に5色の 幡 ( はた ) を付けた鈴を持ち、左手は、この幡を胸高に添える。所作は、 御拝 ( おはい ) 、進退、回転に合わせて鈴を振り、楽は 龍笛 ( りゅうてき ) と 楽太鼓 ( がくだいこ ) の静かな演奏で、 社家 ( しゃけ ) の方が受け持っている。
天宮の 乙女神楽 ( おとめかぐら ) は、小國のものとは全く違い、4人が氏子の中から選ばれ、天冠に髪飾り、 赤差袴 ( あかのさばかま ) に 表着 ( おもてぎ ) を付け、右手に 御幣 ( ごへい ) 左手に鈴を持ち、 篠笛 ( しのぶえ ) と大太鼓に合わせて舞う。全3段からなり、鈴を振り前後し御幣を右高に掲げる所作を基本としている。
1543(天文12)年天宮文書に「乙女」とあり、すでに乙女神楽が舞われていたものと考えられる。天宮の神楽は、森町の氏神三嶋神社へも伝えられ11月の祭には旧6町内から4人がお宮へ上がる。舞児返しは、肩車で送る天宮に村し、三嶋神社では屋台を用いている。
(1)修正会導師法則
(2)田遊び詞章
(3) 代掻牛(しろかきうし)
(4)一宮 午王宝印(ごおうほういん)
(5)苗草蒔き
(6) 祝辞 ( のりと )
(7)旧一宮末社神明宮 (外宮)
(8)神楽役の原田家
(9)天宮乙女神楽古装束
(10)いちっこ
(11)乙女神楽
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更新日:2019年07月08日