21 旗本土屋氏の8ヵ村支配
土屋逵直(みちなお)は、1679年(延宝7年)8月7日、高3483石余を現在の森町内の旧8ヵ村(森町村・天宮村・橘村・草ヶ谷村・粟倉村・上河原村・中田村・石川村)に充てられ、同家の当主が代々幕末まで知行(ちぎょう)した。
土屋家は、義家流足利支流の一色氏で武田家に仕え、 惣蔵 ( そうぞう ) 平三郎(忠直)は清見寺で家康に取立てられ、 阿茶局 ( あちゃのつぼね ) の養子となり、以来徳川家に仕えている。
知行地の陣屋は、当初草ヶ谷村(陣屋敷)に置かれ、享保6年から9年の間に西脇に移されているが、これは、町場の発展に伴って市街地の近くに置く必要があったからであろう。
代官は、江戸から派遣される者と知行地の町場や 米所 ( こめどころ ) の有力者から登用される者があり、
神谷・加藤・野尻・太田・山中・山田・北嶋・柚木(ゆぎ)・中村・松井の各氏は記録にみえる地代官(じだいかん)である。彼等の役目は、陣屋の御用金の負担、御蔵米の払い出し、年貢収取、年貢米の地払い、江戸屋敷への送金や連絡、財政運営、陣屋の賄(まかな)い、知行地内の寺社への代参、村々の巡回と村役人の統括など、多岐にわたっている。
幕末には、土屋惣蔵の領有高は3552石余りに増加し、安政6年の陣屋に貢納された1418石は金1450両に相当する。土屋氏は、森町村に隣接する三千石余の地域を一括して知行したわけだが、これは、先祖土屋忠直が阿茶局の養子であり、鋳物師山田七郎左衛門は阿茶局の身内と言われるなど、森町が土屋氏にとって有縁の土地であったことによるものであろう。
(1)森町村外七ヵ村西脇陣屋絵図写
図−23 八ヵ村区分図
(2)土屋逵直書状
(3)西脇陣屋間取り図
(4)土屋氏代官北嶋仲右衛門家長屋門
(5)庄屋鈴木五兵衛屋敷想定図
(6)八ヵ村村鑑明細書上帳
(9)土屋主税使用の肘枕
(7)土屋家提灯
(8)土屋 惣蔵 ( そうぞう ) 直筆の寿老人図
図−24 土屋氏系図
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更新日:2019年03月05日