23 絵図から見た村落の諸相
現在の森町域は、近世には周智郡・佐野郡・豊田郡内の48か村からなり、元禄期の領主は、[19]表−7のごとくであった。
村役人は、 名主 ( なぬし ) ( 庄屋 ( しょうや ) )・ 組頭 ( くみがしら ) ・ 百姓代 ( ひゃくしょうだい ) で、法令や 触書 ( ふれがき ) の徹底、年貢割付、収納、夫役の分担、村内の治安などに勤仕していた。村役人の交代は、弘化3年の谷川村の場合、名主の死去後村中で選出し、理由を領主に申し出て追認処理をおこなっている。
近世の村落状況のすべてを紹介することは出来ないが、武士階級が、本百姓から全余剰労働生産物を年貢として「生かさぬ様、殺さぬ様」収奪する幕藩体制の基本は当地でも変わらない。
1665年(寛文5年)寺請制度を一例とすれば、この年宗門人別帳作成が義務付けられ、
大鳥居村では、蔵雲院への旦那寺の請印を求め、寺からは「宗旨(しゅうし)改旦那請手形」が出され、宗旨を明確にして人員の把握をし、一揆などの宗教的団結を阻止させた。これが、寺の檀家制度の名残となっており、五人組制度は現在の町内会隣組の基盤となったものである。
絵図には、村落の情報が多く残されており、見る者を楽しませてくれる好史料である。江戸時代における災害・早魃(かんばつ)・長雨による飢饉は、現代以上に民衆に大きな影響を及ぼし、即座に生死を考えざるを得ない状況にあった。下の「円田用水八ヵ村絵図」は村落の区分や面積比率、井水(いすい)の分配、交通網などがよくわかり、水路からの用水量は村高によって定められていた。
(1)円田用水八ヵ村絵図
(2)下天方村絵図
(3)森町村絵図
(4)大鳥居村絵図
(5)三倉上ノ平の集落
(6)八ヵ村知行に対する口上書
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更新日:2019年03月05日