森町関係略年表(江戸時代)
西暦 | 年号 | 内容 |
---|---|---|
1600年 | 慶長5年 |
|
1601年 | 慶長6年 | この年か、堀尾吉晴・同忠氏、小國宮を分祠し出雲国島根郡照牀明神(てるとこみょうじん)に祀る。 |
1603年 | 慶長8年 |
|
1604年 | 慶長9年 | この年、遠州総検地が行なわれる。森町地域は、7月08月であった。 |
1612年 | 慶長17年 |
|
1615年 | 元和元年 |
|
1616年 | 元和2年 |
|
1621年 | 元和7年 | この年、小國神社の社頭一宇が造立され、一宮神主鈴木豊前重長・神宮寺権大僧都豪憲法印が遷宮(せんぐう)を勤める。勾当(こうとう)大庭五郎左衛門等5人の社家の名が見える。 |
1623年 | 元和9年 | 中泉代官中野七蔵、一宮勅使御霊社粟倉三社を造営する。 |
1625年 | 寛永2年 | 11月5日、薄場村の検地が行なわれる。 |
1626年 | 寛永3年 | 6月、天方村(向天方村)と森村、三嶋大明神山の村境について相論。 |
1629年 | 寛永6年 | この年、山口修理亮(進)、遠江・常陸に15,000石余を領し、中田村などを支配、栗倉村等の池を建設する。 |
1630年 | 寛永7年 | このころ、蓮華寺山境の相論があり、森町村鈴木五兵衛・神谷清右衛門、天宮の村松三郎左衛門、粟倉村の北嶋恕雪(彦八郎)などの庄屋が蓮華寺に詫びる。 |
1631年 | 寛永8年 |
|
1632年 | 寛永9年 | この年、平野部の検地が行なわれる。9月から11月に実施され、出目村が作られた。 |
1633年 | 寛永10年 |
|
1635年 | 寛永12年 | 11月、幕府、寺社奉行を置く。 |
1636年 | 寛永13年 |
|
1639年 | 寛永16年 | 7月、鎖国完成。 |
1640年 | 寛永17年 | この年、幕府、宗門改役を置き、寺請・宗門人別帳を作成させる。 |
1643年 | 寛永20年 |
|
1644年 | 寛永21年 |
|
1647年 | 正保4年 | この年、天宮新町(高4石5斗9升7合)ができる。 |
1649年 | 慶安2年 | 慶安の御触書が幕府によって示される。 |
1650年 | 慶安3年 | 閏10月22日、一宮大工棟梁高木五郎左衛門と米倉村三郎兵衛との間で、一宮小國社大工棟梁職について相論となる。 |
1652年 | 承応2年 | この年、森住田辺九郎右衛門吉次、二俣清竜寺の梵鐘(ぼんしょう)を鋳造する。 |
1660年 | 万治3年 | この年、大風7度吹き、大飢饉となる。谷崎村の年貢が軽減される。 |
1661年 | 万治4年 (寛文元年) |
正月13日、森町村で大火があり、本町・河原町・横町などが焼失し、三嶋大明神・梅林院・西光寺まで延焼する(寛文2年説もあり)。 |
1665年 | 寛文5年 | 7月、諸宗寺院・神社法度が定められ、一宮社家などの組織が改正される。 |
1670年 | 寛文10年 | 6月、一宮5ヵ村と岩室村の境相論が起こる。 |
1672年 | 寛文12年 | 9月10日、三嶋大明神が再建され、蓮華寺が遷宮を行なう。 |
1673年 | 延宝元年 | この年、分地制限令出る。 |
1678年 | 延宝6年 | 7月、桑原茂左衛門、三倉久右衛門より茶16両余を仕入れる。 |
1679年 | 延宝7年 | 8月、土屋氏、周智郡森町村他7ヵ村(天宮村・草ヶ谷村・粟倉村・上河原村・中田村・石川村・橘村)で3000石の知行地を与えられる。 10月8日、土屋主税の知行下に置かれる8ヵ村の庄屋、諸事を訴える。 11月、土屋逵直、草ヶ谷村に陣屋を構える。 この年、横須賀三熊野神社の遷宮にあたり、一宮より舞楽を奉納する。 |
1689年 | 元禄2年 | この年、小國神社と可睡斎が高雲寺後住の件で相論。 |
1691年 | 元禄4年 | 12月、山田七郎左衛門、江尻宿山田六郎左衛門・芹沢善兵衛を訴える。 |
1693年 | 元禄6年 | 6月、渇水につき片瀬村と大久保村・谷崎村水論。 |
1695年 | 元禄8年 | この年、下天方村で円田用水8ヵ村用水絵図が作成される。 |
1697年 | 元禄10年 |
|
1698年 | 元禄11年 | 3月、旗本高木氏・松平氏・鍋島氏・皆川氏、知行地を遠州に移される。 |
1699年 | 元禄12年 | この年、元禄国絵図作成が命ぜられ、森町村・粟倉村などから絵図を差出す。 |
1701年 | 元禄14年 |
|
1705年 | 宝永2年 | 9月15日、飯田村と上川原村が、太田川の川原境について相論する。 |
1708年 | 宝永5年 | この年、富士山が噴火し、谷川村も地震や地鳴(じなり)にみまわれる。 |
1713年 | 正徳3年 | 4月、幕領の大庄屋・割元惣代を廃止する。 |
1716年 | 正徳6年 | この年、享保の改革始まる。 |
1718年 | 享保3年 |
|
1721年~1724年 | 享保6年~9年 | このころ、土屋主税の草ヶ谷陣屋が、森の西脇に移される。 |
1723年 | 享保8年 | 11月、新田開発奨励のため、代官見立新田の年貢10分の1をその代官に支給。 |
1726年 | 享保11年 | 7月、宮代村と谷崎村が取水場をめぐり相論。 |
1727年 | 享保12年 | 7月8日、飯田村辺大水、所々破損。 |
1729年 | 享保14年 | 7月、粟倉村・谷川村等、円田用水を巡って相論。 |
1732年 | 享保17年 |
|
1734年 | 享保19年 | 2月、粟倉村・草ヶ谷村・上河原村の百姓困窮を訴える。 |
1735年 | 享保20年 | 6月、梅林院、庵山山麓へ移転し、住僧素民が造営記録を記す。 |
1736年 | 元文元年 | 9月8日、思案坊権現(しあんぼうごんげん)に正一位が授けられる。 |
1745年 | 延亨2年 | 12月、大洞院と崇信寺の間で本末改につき相論が起こる。 |
1747年 | 延亨4年 |
|
1749年 | 寛延2年 |
|
1751年 | 寛延4年 | この年、北見新田後割の畝歩(せぶ)が改められる。 |
1755年 | 宝暦6年 | この年、森町村の太田忠右衛門ら、下河原に新田開発計画を立てる。 |
1757年 | 宝暦7年 | 5月、大雨のため出水、鴨岡村で堤防切れ、所々大いに損じ、稲苗腐り、農民多く苗もらいに出る。 |
1758年~1759年 | 宝暦8年~9年 | この年、山村では食糧に窮(きゅう)し、ワラビ・クズなどの山菜類を食べ、飢を凌ぐ。 亀久保村大飢饉、病人10人、飢死27人。 |
1760年 | 宝暦10年 | 11月、三嶋神社の社頭が修復され、神主太田文三郎などが仕える。 |
1771年 | 明和8年 | 5月、伊勢御蔭参り盛行。 |
1776年 | 安永5年 | 9月、蓮華寺本末分限帳に末寺として天宮神宮寺が見える。 |
1777年 | 安永6年 | 7月、一宮例祭における夜灯奉献の上下について粟倉村と宮代村が争う。 |
1782年 | 天明2年 |
|
1782年 | 天明2年ころ | 雪中庵三世大島蓼太が江戸深川の芭蕉庵において会席を設け、以席・蓼主・菊平の3人と歌仙(俳諧)を巻く。 |
1783年 | 天明3年 |
|
1784年 | 天明4年 | この年、土屋氏、知行地森町村を除く7ヵ村に村鑑明細帳を差し出させる。 |
1785年 | 天明5年 | この年、山田七郎左衛門種次、大洞院龍門橋の擬宝珠を鋳造する。 |
1786年 | 天明6年 | 7月、諸国大凶作。 |
1787年 | 天明7年 | 7月、寛政の改革始まる。 この年、雨続きにて不作(諸国大飢饉)。 |
1788年 | 天明8年 | 5月、幕府巡見使(じゅんけんし)が森町を訪れ、山中家等が接待する。 |
1789年 | 寛政元年 | 8月、小國重年、本居宣長に入門。 |
1793年 | 寛政5年 | 7月、野田松三郎など、大念仏一切停止を周智郡外3郡に触れる。 |
1796年 | 寛政8年 |
|
1798年 | 寛政10年 | 2月、山田七郎左衛門、真継家より鋳物師職定書を得る。 |
1801年 | 享和元年 | 2月、小國重年『長歌詞珠衣』6巻を著す。 |
1803年 | 享和3年 | この年、大須賀陶山(鬼卵)、『東海道人物志』に鈴木豊前・堀尾右膳・鈴木彦兵衛・山田周造・中村兵庫・中村斎宮・北嶋権右衛門などを記す。 |
1806年 | 文化3年 | 1月、小國重年『六国史皇統記』を著す。 |
1808年 | 文化5年 | 2月、山田七郎左衛門、真継家より鋳物師職座法掟を得る。 |
1811年 | 文化8年 | 7月16日、南鳳寺(森月)の法印秀光が錦地職となる。 |
1815年 | 文化12年 | 8月、森町村の用水路について森町村と天宮村が相論。 |
1818年 | 文化15年 (文政元年) |
|
1819年 | 文政2年 | 1月、小國重年没する(52歳)。 |
1824年 | 文政7年 | 閏8月、安倍郡・志太郡・周智郡・榛原郡・豊田郡の計113ヵ村が茶押領1件(文政の茶1件)につき提訴する。 |
1826年 | 文政9年 | この年夏、旗本勝左衛門太郎小吉(海舟の父)中村乗高屋敷に逗留。 |
1829年 | 文政12年 | 1月、草ヶ谷村・粟倉村・中田村・石川村が3ヵ月の見附宿加助郷を命じられる。 |
1830年 | 文政13年 | 閏3月、伊勢御蔭参り流行し、7月、森町村へ伝わる。 |
1831年 | 天保2年 |
|
1832年 | 天保3年 | 7・8月、円田用水における水争いが起き、諸国大凶作、天保の飢饉始まる。 |
1833年 | 天保4年 | この年、大井用水分水につき草ヶ谷村へ堰築立争い。また不作・飢饉により年頁30040パーセント減免される。 |
1834年 | 天保5年 | 12月、山中豊平『遠淡海地志』8巻を著す。 |
1836年 | 天保7年 | この年、2月中旬より雨しげく、3・4・5・6・7月と降りつづき、3日と晴天はなく、8月13日の大塩風により大打撃を受け、百年来の不作となる。諸物価大暴騰。 |
1837年 | 天保8年 |
|
1838年 | 天保9年 |
|
1841年 | 天保12年 |
|
1842年 | 天保13年 | 7月、谷川村・宮代村・米倉村が20ヵ年の見附宿の宿付助郷を命じられる。 |
1844年 | 天保15年 (弘化元年) |
|
1845年 | 弘化2年 | 9月、森新町の若者、掟を書写して組織の団結を図る。 |
1846年 | 弘化3年 | 2月25日、天宮神社祭礼に、鈴木左近が神事奉行を勤める。 |
1847年 | 弘化4年 | 5月1日、飯田村彦兵衛ほか、四天王寺東儀出羽守について篳篥(ひちりき)を習う。 |
1850年 | 嘉永3年 | 松平弾正、秋葉山参詣につき、森町を通行する。 |
1851年 | 嘉永4年 | 春、粟倉村蘭方医北嶋三託(重平)、浜松の竹村氏等に種痘を行なう。 |
1852年 | 嘉永5年 | 閏2月、森町報徳社結成。 |
1853年 | 嘉永6年 |
|
1854年 | 嘉永7年 (安政元年) |
|
1856年 | 安政3年 | 3月3日、日米和親条約締結。 |
1858年 | 安政5年 |
|
1860年 | 万延元年 |
|
1862年 | 文久2年 | 閏8月、西俣村・赤根村・問詰村・鍛冶島村・上福田地村が15ヵ年の見附宿代助郷を命じられる。 |
1863年 | 文久3年 | 10月、森町祭礼において争乱が起こり、土屋氏知行7ヵ村が仲介して和睦する。 |
1864年 | 元治元年 | この年、土屋氏第一次長州征伐従軍につき、軍資金・夫役を知行地の村民に賦課し、村方難渋する。 |
1865年 | 元治2年 |
|
1865年 | 慶応元年 | 5月、大河内村・鴨岡村・田中村が見附宿当分助郷を命じられる。 |
1867年 | 慶応3年 | 5月、森町報徳社再興。 |
このページに関する
お問い合わせ先Inquiry
社会教育課 文化振興係
〒437-0215
静岡県周智郡森町森92-1
電話番号:0538-85-1114
メールでのお問い合わせはこちら
更新日:2019年03月01日