森町関係略年表(江戸時代)

更新日:2019年03月01日

森町年表(江戸時代)
西暦 年号 内容
1600年 慶長5年
  • 7月、関ヶ原の戦。
  • このころ、大洪水によって森の古町が川欠し、宮代塩井の薬師堂が大破する。
1601年 慶長6年 この年か、堀尾吉晴・同忠氏、小國宮を分祠し出雲国島根郡照牀明神(てるとこみょうじん)に祀る。
1603年 慶長8年
  • 2月、家康、征夷大将軍となり、江戸幕府を開く。
  • 8月28日、徳川家康、一宮神領590石を安堵する。
  • このころ、太田川流域の大改修が行なわれ、森町村が造られる。また、山梨町もこのころ整備される。
  • このころ、下天方村(田中村)の開発を村松太郎馬等が進める。
1604年 慶長9年 この年、遠州総検地が行なわれる。森町地域は、7月08月であった。
1612年 慶長17年
  • 5月28日、徳川家康、大洞院に宛てて天下曹洞宗法度を下し、士峯宗山が駿府城においてこれをうけ、駿河・遠江・三河・信濃等に布達(ふたつ)する。
  • この年、可睡斎十三世士峯宗山、粟倉村全生寺に隠居、天台宗善正寺を曹洞宗に改宗する。この頃、浜松城主水野重仲、全生寺を造立する。
1615年 元和元年
  • 3月7日、鍛冶島村で伊勢踊が流行、4月8日、湯立神事を行なう。
  • 5月、大阪夏の陣、豊臣氏滅亡。
1616年 元和2年
  • 2月26日、蓮華寺宣舜法印入定する(黄金塚)。
  • 4月、徳川家康75歳で没する。江戸への使者天方の落合氏と伝えられる。
1621年 元和7年 この年、小國神社の社頭一宇が造立され、一宮神主鈴木豊前重長・神宮寺権大僧都豪憲法印が遷宮(せんぐう)を勤める。勾当(こうとう)大庭五郎左衛門等5人の社家の名が見える。
1623年 元和9年 中泉代官中野七蔵、一宮勅使御霊社粟倉三社を造営する。
1625年 寛永2年 11月5日、薄場村の検地が行なわれる。
1626年 寛永3年 6月、天方村(向天方村)と森村、三嶋大明神山の村境について相論。
1629年 寛永6年 この年、山口修理亮(進)、遠江・常陸に15,000石余を領し、中田村などを支配、栗倉村等の池を建設する。
1630年 寛永7年 このころ、蓮華寺山境の相論があり、森町村鈴木五兵衛・神谷清右衛門、天宮の村松三郎左衛門、粟倉村の北嶋恕雪(彦八郎)などの庄屋が蓮華寺に詫びる。
1631年 寛永8年
  • 2月、蓮華寺117世豪憲法印、一宮菩薩について記す。
  • 11月20日、山口修理進が、領内の百姓2000人工をもって雲林寺を復興。
1632年 寛永9年 この年、平野部の検地が行なわれる。9月から11月に実施され、出目村が作られた。
1633年 寛永10年
  • この年、山口重政、遠州の領地支配のため、六ヵ条の定書を出す。また、山口修理は、所領内の名主を年行事・月行事に任命するなど、諸箇条を申し付ける。
  • この年仲春、憎専盛、矢部定政の賛助を得て大日山金剛院を再建する。
1635年 寛永12年 11月、幕府、寺社奉行を置く。
1636年 寛永13年
  • この年、森地域の山方で検地が行なわれる。
  • 11月5日、臼場村・亀久保村、月日不詳西俣村実施。
1639年 寛永16年 7月、鎖国完成。
1640年 寛永17年 この年、幕府、宗門改役を置き、寺請・宗門人別帳を作成させる。
1643年 寛永20年
  • 3月、田畑永代売買を禁止する。
  • 5月21日、城下村権七郎が天方8ヵ村の大庄屋となる。
1644年 寛永21年
  • 5月25日、天方9ヵ村鮎運上につき、諸役を免除される。
  • この年、森町村、山口備前守の配下に置かれ、上新町・下新町ができる。
1647年 正保4年 この年、天宮新町(高4石5斗9升7合)ができる。
1649年 慶安2年 慶安の御触書が幕府によって示される。
1650年 慶安3年 閏10月22日、一宮大工棟梁高木五郎左衛門と米倉村三郎兵衛との間で、一宮小國社大工棟梁職について相論となる。
1652年 承応2年 この年、森住田辺九郎右衛門吉次、二俣清竜寺の梵鐘(ぼんしょう)を鋳造する。
1660年 万治3年 この年、大風7度吹き、大飢饉となる。谷崎村の年貢が軽減される。
1661年 万治4年
(寛文元年)
正月13日、森町村で大火があり、本町・河原町・横町などが焼失し、三嶋大明神・梅林院・西光寺まで延焼する(寛文2年説もあり)。
1665年 寛文5年 7月、諸宗寺院・神社法度が定められ、一宮社家などの組織が改正される。
1670年 寛文10年 6月、一宮5ヵ村と岩室村の境相論が起こる。
1672年 寛文12年 9月10日、三嶋大明神が再建され、蓮華寺が遷宮を行なう。
1673年 延宝元年 この年、分地制限令出る。
1678年 延宝6年 7月、桑原茂左衛門、三倉久右衛門より茶16両余を仕入れる。
1679年 延宝7年 8月、土屋氏、周智郡森町村他7ヵ村(天宮村・草ヶ谷村・粟倉村・上河原村・中田村・石川村・橘村)で3000石の知行地を与えられる。
10月8日、土屋主税の知行下に置かれる8ヵ村の庄屋、諸事を訴える。
11月、土屋逵直、草ヶ谷村に陣屋を構える。
この年、横須賀三熊野神社の遷宮にあたり、一宮より舞楽を奉納する。
1689年 元禄2年 この年、小國神社と可睡斎が高雲寺後住の件で相論。
1691年 元禄4年 12月、山田七郎左衛門、江尻宿山田六郎左衛門・芹沢善兵衛を訴える。
1693年 元禄6年 6月、渇水につき片瀬村と大久保村・谷崎村水論。
1695年 元禄8年 この年、下天方村で円田用水8ヵ村用水絵図が作成される。
1697年 元禄10年
  • 12月8日、一宮小國事任神社が造営。西尾隠岐守が奉行し、神主鈴木重玄が遷宮を行なう。
  • 12月9日、天宮大明神が修営され、西尾隠岐守が奉行、神主鈴木重玄が遷宮を執行する。
1698年 元禄11年 3月、旗本高木氏・松平氏・鍋島氏・皆川氏、知行地を遠州に移される。
1699年 元禄12年 この年、元禄国絵図作成が命ぜられ、森町村・粟倉村などから絵図を差出す。
1701年 元禄14年
  • 11月、天宮神社に俳額奉納、献句者34人の大半が森町域の人であった。
  • 12月、赤穂浪土の吉良邸討入に際し、森町村外7ヵ村の知行主土屋主税、提灯をかかげてこれを援助するという。
  • この年、土屋主税、粟倉大明神祭祀料として1石6斗7升を安堵する。
1705年 宝永2年 9月15日、飯田村と上川原村が、太田川の川原境について相論する。
1708年 宝永5年 この年、富士山が噴火し、谷川村も地震や地鳴(じなり)にみまわれる。
1713年 正徳3年 4月、幕領の大庄屋・割元惣代を廃止する。
1716年 正徳6年 この年、享保の改革始まる。
1718年 享保3年
  • 2月、天宮神社の祭礼田について、村民より神宮寺良円・鈴木左近に本証文が出される。
  • この年、高平山遍照寺大日如来坐像が造立される(惣大工森町住山田七郎左衛門藤原種満)。
1721年~1724年 享保6年~9年 このころ、土屋主税の草ヶ谷陣屋が、森の西脇に移される。
1723年 享保8年 11月、新田開発奨励のため、代官見立新田の年貢10分の1をその代官に支給。
1726年 享保11年 7月、宮代村と谷崎村が取水場をめぐり相論。
1727年 享保12年 7月8日、飯田村辺大水、所々破損。
1729年 享保14年 7月、粟倉村・谷川村等、円田用水を巡って相論。
1732年 享保17年
  • 9月、飯田牛頭天王社の社頭が修造され、一宮神主が遷宮を勤める。
  • この年、享保の大飢饉起こる。
1734年 享保19年 2月、粟倉村・草ヶ谷村・上河原村の百姓困窮を訴える。
1735年 享保20年 6月、梅林院、庵山山麓へ移転し、住僧素民が造営記録を記す。
1736年 元文元年 9月8日、思案坊権現(しあんぼうごんげん)に正一位が授けられる。
1745年 延亨2年 12月、大洞院と崇信寺の間で本末改につき相論が起こる。
1747年 延亨4年
  • 7月、鴨岡村用水、飯田村に支障を来したことについて同村が訴える。
  • 12月、遠江・駿河・信濃等の勧進によって一宮小國神社が造営される。
1749年 寛延2年
  • 5月、定免制を全面的に施行。
  • 9月、鴨岡村・飯田村水論、江戸表へ出訴する。
1751年 寛延4年 この年、北見新田後割の畝歩(せぶ)が改められる。
1755年 宝暦6年 この年、森町村の太田忠右衛門ら、下河原に新田開発計画を立てる。
1757年 宝暦7年 5月、大雨のため出水、鴨岡村で堤防切れ、所々大いに損じ、稲苗腐り、農民多く苗もらいに出る。
1758年~1759年 宝暦8年~9年 この年、山村では食糧に窮(きゅう)し、ワラビ・クズなどの山菜類を食べ、飢を凌ぐ。
亀久保村大飢饉、病人10人、飢死27人。
1760年 宝暦10年 11月、三嶋神社の社頭が修復され、神主太田文三郎などが仕える。
1771年 明和8年 5月、伊勢御蔭参り盛行。
1776年 安永5年 9月、蓮華寺本末分限帳に末寺として天宮神宮寺が見える。
1777年 安永6年 7月、一宮例祭における夜灯奉献の上下について粟倉村と宮代村が争う。
1782年 天明2年
  • 7月14日・15日、地震。
  • この年、円田平野虫害不作につき夫食要求。
1782年 天明2年ころ 雪中庵三世大島蓼太が江戸深川の芭蕉庵において会席を設け、以席・蓼主・菊平の3人と歌仙(俳諧)を巻く。
1783年 天明3年
  • 4月、小國秀穂(重年)内山真竜に入門。
  • (備考)この年、諸国大飢饉。
1784年 天明4年 この年、土屋氏、知行地森町村を除く7ヵ村に村鑑明細帳を差し出させる。
1785年 天明5年 この年、山田七郎左衛門種次、大洞院龍門橋の擬宝珠を鋳造する。
1786年 天明6年 7月、諸国大凶作。
1787年 天明7年 7月、寛政の改革始まる。
この年、雨続きにて不作(諸国大飢饉)。
1788年 天明8年 5月、幕府巡見使(じゅんけんし)が森町を訪れ、山中家等が接待する。
1789年 寛政元年 8月、小國重年、本居宣長に入門。
1793年 寛政5年 7月、野田松三郎など、大念仏一切停止を周智郡外3郡に触れる。
1796年 寛政8年
  • この年、小國重年『三大追考』『まねび草千々のゆゑよし』を著す。
  • この年、中村乗高『事実証談』の撰集を志す。
1798年 寛政10年 2月、山田七郎左衛門、真継家より鋳物師職定書を得る。
1801年 享和元年 2月、小國重年『長歌詞珠衣』6巻を著す。
1803年 享和3年 この年、大須賀陶山(鬼卵)、『東海道人物志』に鈴木豊前・堀尾右膳・鈴木彦兵衛・山田周造・中村兵庫・中村斎宮・北嶋権右衛門などを記す。
1806年 文化3年 1月、小國重年『六国史皇統記』を著す。
1808年 文化5年 2月、山田七郎左衛門、真継家より鋳物師職座法掟を得る。
1811年 文化8年 7月16日、南鳳寺(森月)の法印秀光が錦地職となる。
1815年 文化12年 8月、森町村の用水路について森町村と天宮村が相論。
1818年 文化15年
(文政元年)
  • 3月、飯田金毘羅山(稲葉山)が造営される。
  • 3月、院内の竹林山南閣院の柴燈(さいとう)護摩壇が森の檀那を中心とする寄進によって構築される(平成8年1月21日消滅)。
  • 8月、中村乗高の『事実証談』成る。
1819年 文政2年 1月、小國重年没する(52歳)。
1824年 文政7年 閏8月、安倍郡・志太郡・周智郡・榛原郡・豊田郡の計113ヵ村が茶押領1件(文政の茶1件)につき提訴する。
1826年 文政9年 この年夏、旗本勝左衛門太郎小吉(海舟の父)中村乗高屋敷に逗留。
1829年 文政12年 1月、草ヶ谷村・粟倉村・中田村・石川村が3ヵ月の見附宿加助郷を命じられる。
1830年 文政13年 閏3月、伊勢御蔭参り流行し、7月、森町村へ伝わる。
1831年 天保2年
  • 11月、幕府、諸国の石高を調査する。
  • このころ、田原茂斎の『賀莚雲集録』に、国学・画山中勘左衛門(豊平)、歌中村宇兵衛(豊足)・天方彦蔵(利泰)・和歌梶(堀尾)右膳を収録。
1832年 天保3年 7・8月、円田用水における水争いが起き、諸国大凶作、天保の飢饉始まる。
1833年 天保4年 この年、大井用水分水につき草ヶ谷村へ堰築立争い。また不作・飢饉により年頁30040パーセント減免される。
1834年 天保5年 12月、山中豊平『遠淡海地志』8巻を著す。
1836年 天保7年 この年、2月中旬より雨しげく、3・4・5・6・7月と降りつづき、3日と晴天はなく、8月13日の大塩風により大打撃を受け、百年来の不作となる。諸物価大暴騰。
1837年 天保8年
  • 2月、飢饉につき森町村・草ヶ谷村小前百姓、救い米・延納米を要求し、首謀者処罰される。
  • 3月、大塩平八郎の乱(2月)の情報、草ヶ谷村にも伝わる。
1838年 天保9年
  • 3月21日、幕府巡検使が森町を訪れ、諸事を巡視する。
  • この年、山田七郎左衛門、法多山の鐘を北谷の吉右衛門前で鋳造する。
1841年 天保12年
  • 4月、山田七郎左衛門、岡野五郎左衛門に双盤鋳造を許可する。
  • 5月、天保の改革始まる。
1842年 天保13年 7月、谷川村・宮代村・米倉村が20ヵ年の見附宿の宿付助郷を命じられる。
1844年 天保15年
(弘化元年)
  • 3月、太田川沿いの新田開発につき、草ヶ谷村が奉行所に訴える。
  • 森町村の松本治郎が太田川で甘柿の苗を拾って自宅に植える(治郎柿起源)。
1845年 弘化2年 9月、森新町の若者、掟を書写して組織の団結を図る。
1846年 弘化3年 2月25日、天宮神社祭礼に、鈴木左近が神事奉行を勤める。
1847年 弘化4年 5月1日、飯田村彦兵衛ほか、四天王寺東儀出羽守について篳篥(ひちりき)を習う。
1850年 嘉永3年 松平弾正、秋葉山参詣につき、森町を通行する。
1851年 嘉永4年 春、粟倉村蘭方医北嶋三託(重平)、浜松の竹村氏等に種痘を行なう。
1852年 嘉永5年 閏2月、森町報徳社結成。
1853年 嘉永6年
  • 6月ペリー浦賀に来航。山田七郎左衛門、田中藩発注の大筒を鋳造する。
  • 9月14日、新村里助など安居院庄七とともに二宮尊徳に日光で面談。
1854年 嘉永7年
(安政元年)
  • 11月4日、大地震、里方は崩壊し、山方は残る。
  • 城下村では、各所で土蔵が崩壊し、井戸は液状化現象によって泥水を吹き出した。飯田村では、家屋のほとんどが倒壊した。市場村松孫兵衛、この災害記録を残す。
1856年 安政3年 3月3日、日米和親条約締結。
1858年 安政5年
  • 6月19日、日米修好通商条約調印。
  • 7月、城下村・天宮村・森町村・草ヶ谷村・上河原村・天方村・粟倉村・谷崎村・片瀬村・中田村・石川村・戸綿村が15ヵ年の袋井宿余荷助郷を命じられる。
  • 9月、安政の大獄始まる。
1860年 万延元年
  • 3月、桜田門外の変起こる。
  • 11月、穀物騰貴(とうき)、山方の村民、城下村まで徒党を組んで襲来、首謀者入牢。
1862年 文久2年 閏8月、西俣村・赤根村・問詰村・鍛冶島村・上福田地村が15ヵ年の見附宿代助郷を命じられる。
1863年 文久3年 10月、森町祭礼において争乱が起こり、土屋氏知行7ヵ村が仲介して和睦する。
1864年 元治元年 この年、土屋氏第一次長州征伐従軍につき、軍資金・夫役を知行地の村民に賦課し、村方難渋する。
1865年 元治2年
  • 3月、米倉村・谷川村・宮代村が見附宿当分助郷を命じられる。
  • 3月、牛飼村・亀久保村・葛布村・薄場村・橘村・大鳥居村が日坂宿当分助郷を命じられる。
1865年 慶応元年 5月、大河内村・鴨岡村・田中村が見附宿当分助郷を命じられる。
1867年 慶応3年 5月、森町報徳社再興。

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