「遠州の小京都」まちづくりを推進しています
森町は、三方を緑の山々に囲まれ、清流太田川が町の中央を流れる風光明媚な地で、「遠州の小京都」として親しまれています。
平成24年4月新東名高速道路の開通と森掛川インターチェンジ開設を契機に、また、平成26年3月の新東名高速道路・遠州森町スマートインターチェンジ開通への期待から、森町を全国に発信するため、平成24年11月に全国京都会議に加盟しました。
このようななか、「遠州の小京都」について理解を深めるとともに、「遠州の小京都」にふさわしいまちづくりを進め、「遠州の小京都・森町」を広くPRし、町の活性化を図るため、平成25年度に「遠州の小京都まちづくり推進会議」が設置されました。
当会議では、「遠州の小京都・森町」をその由縁から改めて整理し、「遠州の小京都」にふさわしいまちづくりに必要なことなどについて、約2年にわたり検討を重ね、平成27年度に合併60周年を迎えることを契機に、「遠州の小京都まちづくり基本構想」を策定し、「遠州の小京都」のまちづくりの方向性をしめしました。
平成28年度には「遠州の小京都」を”看板”として、今後の森町の観光や産業の振興に寄与するため必要な取組等について検討し、「遠州の小京都まちづくり基本計画」を策定しました。
「遠州の小京都まちづくり基本構想」
遠州の小京都まちづくり基本構想とは、「遠州の小京都・森町」をその由縁(ゆえん)から改めて整理し、「遠州の小京都」のまちづくりの方向性を示したものです。
「遠州の小京都・森町」のまちづくりの目標
まち・人・ものに息づく文化・伝統を育み みんなの「絆」でもてなす まちづくり
まちづくりの基本方針
- みんなで「遠州の小京都・森町」を継承する
- みんなで「遠州の小京都・森町」を発信する
- みんなが「遠州の小京都・森町」でもてなす
「遠州の小京都まちづくり」基本構想 (PDFファイル: 1.2MB)
「遠州の小京都まちづくり基本計画」
遠州の小京都まちづくり基本計画とは、森町の観光まちづくりの課題に対応し、「遠州の小京都・森町」を広くPRし、町の活性化(観光振興・産業振興)を図るため、基本構想に基づき各方策を位置づけたものです。
森町の観光まちづくりの課題
- 「遠州の小京都」まちづくりの浸透
- 「遠州の小京都」にふさわしい観光環境の向上
- 観光・商工(物産)振興における体制・組織の確立
- 情報発信力の強化による知名度・ブランド力の強化
- 「遠州の小京都」を活かした観光・商工(物産)振興の活動を展開する拠点機能の創出
遠州の小京都まちづくり戦略の柱
- 環境づくり
- 商品づくり
- ブランド力づくり
- 拠点づくり
- 組織・体制づくり
- 人づくり
「遠州の小京都まちづくり」基本計画(本編) (PDFファイル: 5.4MB)
「遠州の小京都まちづくり」基本計画(概要版) (PDFファイル: 1.5MB)
この「遠州の小京都まちづくり基本構想・基本計画」に基づき、町民みんなで「遠州の小京都・森町」のまちづくりに取り組んでいきます。
「遠州の小京都」の由縁 ~ 森町之賦 ~
日本の美しい風景を世界に知らしめた地理学者:志賀重昂氏(1863年~1927年|愛知県岡崎市出身)が、大正12年に森町を訪れ、この地の風景の美しさに心を打たれ、「森町之賦」(森町を称える詩)を読み、森町が「遠州の小京都」と呼ばれる由縁の詩として伝えられています。
詩の意味
「三方を山々に囲まれ、南部一帯に平野が広がっている。帯のように太田川が流れ、左右ににぎやかな町並みがある。三味線や太鼓のお囃子や賑やかな唄が川の流れを隔てて聞こえてきたり消えたりしている。その様はどこにでもある風情ではない、まさに『小京都』である。
「遠州の小京都」とは
全国京都会議への加盟基準として「京都に似た自然や景観」、「京都との歴史的なつながり」、「伝統的な産業と芸能があること」の3つの条件があります。
小京都(京都らしさ)とは、神社仏閣・町並みなど目に見えるものだけを指すのではありません。森町に息づく文化・伝統・芸能には、古都の文化が今も脈々と受け継がれています。
比叡山と同じく太田川水源の山を背後に抱え、寺社や町並みが配置された「京都に似た自然や景観」
京都祇園祭ゆかりの貴重な舞を今も伝える山名神社天王祭舞楽や桜御前(蓮華寺)の伝説、菅原道真公の三人の従者の逸話など「京都との歴史的なつながり」
お茶や森山焼、治郎(次郎)柿、森町三大舞楽やお祭りなど「伝統的な産業や文化があること」
森町は、全ての加盟基準に合致することから、加盟地域の中でも「小京都」を代表する町といえます。
更新日:2019年03月01日