森町関係略年表(~安土桃山時代)
西暦 | 年号 | 内容 |
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645年 | 大化天皇元年 | 大化の改新。 |
701年 | 大宝元年 | 大宝令制定。 |
710年 | 和銅3年 |
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722年 | 養老6年 |
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738年 | 天平10年 | 駿河国正税帳に磐田郡散事大湯坐部(さんじおおゆかんなぎべ)小國の名がみえる。 |
741年 | 天平13年 | 国分寺建立の詔(みこのとり)。以後、各郡ごとに郡家(郡役所)が整備される。 |
752年 | 天平勝宝4年 |
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794年 | 延暦13年 | 平安京遷都。 |
840年 | 承知7年 | 6月24日、遠江国周智郡無位小國天神および同国磐田郡無位矢奈比売天神(むいやなひめてんじん)を従五位下とする。 |
860年 | 貞観2年 | 正月27日、敬満(けいまん)神社を正四位下に、苅原河内神・小國神・鹿苑神を従四位下に、矢奈比売神・事真知乃神(ことまちのかみ)に正五位を授ける。 |
874年 | 貞観16年 | 2月23日、苅原河内・小國神に従四位上を授ける。 |
881年 | 元慶5年 | 10月5日、磐田郡を割いて山香郡が設置される。 |
931年~938年 | 承平年中 | 源順、醍醐天皇皇女勤子内親王の命により、倭名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)を選述し、遠江国の諸事を定める。 |
1081年 | 永保元年 | 全国22の大社に朝廷の奉幣(ほうへい)がなされ、各国の国神祭が確立する。 |
1082年 | 永保2年 | 10月17日、神祇伯(じんぎはく)(皇)康資王、清原則房を遠江国小國社の神主に補任する。 |
1083年 | 永保3年 | 8月27日、遠江国司藤原惟信(これのぶ)、清原則房を小國社の宮司職に補任する。 |
1097年 | 承徳元年 | 9月28日、都の僧実誉(じつよ)、遠江国小國社神宮寺神官別当が従五位下を買官したことを上申する。 |
1108年 | 天仁元年 | このころ、天方鍛冶に友行(重永)あり。 |
1126年 | 大治元年 | 12月21日、遠江国石室寺に如法経が埋納(まいのう)され、遠江目代が願主となる。 |
1165年 | 永万元年 | 6月、神祇官に対し、遠江国では小國社が八丈絹五疋を貢納(こうのう)する。 |
1168年 | 仁安3年 | 9月18日、小國社の本殿の背後に如法経が埋納される(小國神社経塚)。 |
1180年 | 治承4年 | 8月、源頼朝、伊豆に挙兵、10月、安田義定遠江守護となる。 |
1185年 | 文治元年 | 3月、檀那藤原行直発願の大般若波羅蜜多経を法多山や蓮華寺の僧が書写する。 |
1186年 | 文治2年 |
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1188年 | 文治4年 | 5月、願主守護義定、遠江国巖室寺血極谷で大般若波羅蜜多経を書写させる。 |
1192年 | 建久3年 | この年、後白河法皇が没し鎌倉幕府が開かれ、頼朝が征夷大将軍となる。 |
1209年 | 承元3年 | 6月20日、願主藤原行直による大般若経の書写が蓮華寺栄賢らによって行われる。 |
1227年 | 安貞元年 | 法然の高弟隆寛、遠江見付国府に逗留(とうりゅう)の際、同門の蓮華寺禅勝房と再会する。 |
1235年 | 文暦2年 | 2月13日、藤原家貞・同源次郎、遠江鎮守小國一宮に起請文を立てる。 |
1237年 | 嘉禎3年 | 12月9日、中原某、京より蓮華寺の経田、もりやまの屋敷の事について、蓮華寺竪者御房に返事を送る。 |
1258年 | 正嘉2年 | 10月4日、遠江国蓮華寺禅勝房入定する。 |
1265年 | 文永2年 | 2月7日、遠江国三代起請地・三社領注文が作成され飯田荘・山名荘が見える。 |
1269年 | 文永6年 | 12月15日、蓮華寺法観房が入定する。 |
1273年 | 文永10年 | 3月12日、遠江国岩室南谷において、大般若波羅蜜多経が書写される。 |
1275年 | 建治元年 | 5月、京都六条八幡宮の造営料を負担した御家人の中に、遠江国の10名余が含まれ、山名荘人々に十貫文が割り当てられる。 |
1281年 | 弘安4年 | 12月28日、将軍源惟康、山内首藤通茂に遠江国飯田荘上郷内筥島(かみごうのうちはこじま)・西俣・加保村などの地頭職を安堵する。 |
年次不詳 | 月日不詳、藤原通増、遠江国飯田荘内加保村・筥島村内屋敷名田などを安堵。 | |
1314年 | 正和3年 | 10月9日、岩室登山口の安養院が開かれるという。 |
1327年 | 嘉暦2年 | 10月28日、遠江国内田致景、同国飯田荘内田地の相論について、守護大仏貞直より真偽究明を命じられ、飯田里・打越田・楠木などの地名がみえる。 |
1333年 | 元弘3年 | 鎌倉幕府滅亡し、7月~9月、今川範国が遠江守護に任ぜられる。 |
1334年 | 建武元年 | 建武の中興。5月7日、一・二宮の本家・領家職の停止が命ぜられる。 |
1335年 | 建武2年 | 11月28日、山内首藤通継、遠江国飯田荘内加保村地頭職などを、同通知に譲る。 |
1336年 | 建武3年 | 2月5日、少弐貞経、一宮太田郷内一藤名地頭職を、子資経に譲る。 |
1337年 | 建武4年 |
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1338年 | 暦応元年 | 足利尊氏征夷大将軍となる。 |
1340年 | 暦応3年 | 4月、高義胤(こうのよしたね)、遠江国衾田郷地頭職の替地を幕府に請う。 |
1351年 | 正平6年 |
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1361年 | 康安元年 | 月日不詳、熊野山新宮造営料所遠江国衙領目録に石河・中田郷と見える。 |
1364年 | 貞治3年 | 4月8日、遠江国府中蓮光寺の鐘が鋳造され大工一宮住西願・崇一が追刻する。 |
1368年 | 応安元年 | 12月28日、思案房入定する。 |
1377年 | 永和3年 | 8月、遠江国観音寺が、本寺法勝寺再興のため、毎年2貫文を支出することが定められる。 |
1384年 | 永徳4年 | 3月1日、源光盛(道圭)勧道檀那となり、大般若波羅蜜多経を書写し、御倉郷田尾天王宮に施入する。この後、至徳4年(1387年)ごろにかけて諸人、諸所において書写、納経され、600巻となる。 |
1390年 | 明徳元年 |
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1392年 | 明徳3年 | 南北朝の合一成る。 この年、如仲天?、飯田院内に草庵(如仲庵)を結ぶという。 |
1394年 | 応永元年 | この年、能登総持寺の僧金龍玉光来り、戸和田行観寺の跡を再興(さいこう)し、宗侍寺とするという (のち宗源寺と改める)。 |
1396年 | 応永3年 | 6月晦日、舜慶、遠江国蓮華寺の熊野檀那職を、廊執行法印に売却する。 |
1397年 | 応永4年 | 3月、遠州一宮荘粟倉熊野三所権現鰐口が奉納される。 |
1401年 | 応永8年 | 正月、山内道美、崇信寺に寺領を寄進する(開山如仲天?)。 |
1407年 | 応永14年 | 9月9日、藤原通国、飯円荘戸和田郷賀茂宮に鰐口を奉納する。 |
1408年 | 応永15年 | この年、不琢玄珪(ふたくげんけい)、雲林寺を開く。 |
1411年 | 応永18年 | この年、如仲天?、大洞院を開く。 |
1420年 | 応永27年 | 6月5日、少弐満貞、遠江国一宮太田郷内一藤名地頭職を武藤白幡に安堵する。 |
1424年 | 応永31年 | 5月8日、遠江国一宮荘天満宮の大般若波羅蜜多経が書写される。 |
1425年 | 応永32年 | 12月16日、飯田城主山内対馬守道美没する(法名玉山道美)。 |
1428年 | 正長元年 |
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1430年 | 永享2年 | 4月14日、如仲天?越前竜沢寺に入院、同月宗越、宝太寺(向天方)を開く。 |
1432年 | 永享4年 | 12月2日、室町幕府、遠江国一宮荘代官職を武藤用定に安堵する。 |
1437年 | 永享9年 |
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1440年 | 永享12年 | 2月5日、如仲天?没する。享年76歳。 |
1444年〜1455年 | 文安元年〜享徳4年 | このころ、武藤遠江守(用定)、室町幕府奉公衆として在任中(左京亮信用、その跡を継ぐ)。 |
1446年 | 文安3年 | 12月13日、法永叟、遠江国栗島護福寺毘沙門堂に鰐口を奉納する。 |
1449年 | 宝徳元年 | 6月15日、雲林寺開山不琢玄珪没する。 |
1457年 | 長禄元年 | 7月8日、崇信寺石叟円柱、同寺に没する。享年69歳。 |
1466年 | 文正元年 | 4月5日、備中国洞松寺洞鶴、三倉郷大河内ミソドコに栄泉寺を開く。 |
1467年 | 応仁元年 | 5月、応仁の乱起こる。 |
1477年 | 文明9年 | 11月、応仁の乱終る。 |
1485年 | 文明17年 |
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1487年 | 長享元年 | 正月、戸和田郷藤原通信、賀茂三所大明神に鰐口を奉納する。 |
年次不詳 | 室町幕府奉公衆の中に武藤遠江守(用定)・武藤孫三郎・同弥四郎・同孫四郎が見える。 | |
1494年 | 明応3年 | 8月、伊勢早雲、軍兵を率いて遠江3郡に進攻する。 |
1496年 | 明応5年 | このころ、飯田荘観音寺の藤原氏の子愛菊丸幼くて和歌を詠む。 |
1494年〜1499年 | 明応3年9月〜8年1月 |
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1501年 | 文亀元年 |
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1505年 | 永正2年 |
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1510年 | 永正7年 | 3月20日、本間宗季、今川氏親に軍忠状を提出し、証判を受ける。 |
1512年 | 永正9年 |
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1516年 | 永正13年 | 8月、谷川大信院・石川地蔵寺・牛飼大福寺が不琢によって開かれるという。 |
1520年 | 永正17年 | 9月19日、城下牛頭天王社(谷本神社)創建されるという。 |
1522年 | 大永2年 |
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1524年 | 大永4年 | 5月7日、道芬(天万氏)上洛、三条西実隆に葛2端を贈る。 |
1526年 | 大永6年 |
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1528年 | 大永8年 | 3月28日、今川氏輝、匂坂長能に本領を安堵する(なかに牛牧村あり)。 |
1529年 | 享禄2年 |
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1530年 | 享禄3年 | 6月30日、今川寿桂尼(じゅけいに)、米倉極楽寺の寺領・住持職を安堵する。 |
1533年 | 天文2年 | 11月、仁和寺尊海、天方道芬庵を訪ねる(21日道芬庵において、さらに山内刑部少輔館において連歌の座興行)。 |
1534年 | 天文3年 | 8月、このころ、黒石の万福寺が開かれるという。 |
1535年 | 天文4年 |
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1536年 | 天文5年 | 2月17日、今川氏奉行人朝比奈親徳等、熊切尾上彦太郎に宛て、天方知行地内にいる被官百姓等の還住(かんじゅう)を命ずる。 |
1541年 | 天文10年 | 5月、椿翁永松(ちんおうえいしょう)、西俣に福泉寺を開くという。 |
1543年 | 天文12年 | 9月6日、今川義元、天宮神主中村新左衛門尉に対し、同社の禰宜・乙女・神役人以下の支配を認めるなど、三ヵ条を命ずる。 |
1545年 | 天文14年 |
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1552年 | 天文21年 | 12月15日、三倉俊宗等、三倉郷(大久保)の八幡宮を再建する。 |
1553年 | 天文22年 |
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1555年 | 弘治元年 | この年、三河国慈廣寺雲耕、森淵山梅林院を再興するという。 |
1557年 | 弘治3年 |
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1559年 | 永禄2年 | 7月4日、今川義元、中村助太郎と武藤氏定との相論を裁許(さいきょ)する。 |
1560年 | 永禄3年 | 5月、織田信長、今川義元を尾張桶狭間に破り、義元戦死(42歳)。 |
1561年 | 永禄4年 | 4月5日、今川氏真、飯田観音寺などの住持職を増善寺長老の指南として安堵する。 |
1564年 | 永禄7年 | 9月9日、今川氏真、「遠州そう劇(えんしゅうそうげき)」につき、中村大膳亮に国家安泰の祈念を命ずる。 |
1565年 | 永禄8年 | 9月3日、東山四郎左近、応永14年藤原通国が戸和田郷賀茂宮に施入した鰐口を大尾山顕光寺に再寄進する。 |
1568年 | 永禄11年 | 9月21日、今川氏真、津留奉行に対し、犬居郷へ運ぶ兵粮につき、毎月5駄宛奥山左近へ渡すため、森・二俣口での通過を命ずる。 |
1569年 | 永禄12年 | 6月、天方・飯田両城、徳川家康に攻められ落城。天万城(城主天方通興)は降伏、飯田城は、城主山内通泰(法名旅庵通宿)以下討死(しかし、通泰の庶子伊織は家臣梅村彦兵衛に伴われて三河へ落ちのびる)。 |
1570年 | 永禄13年 | この年、宗虎(香勝寺二世)、鴨岡に一鴨山玉泉寺を開くという。 |
1570年 | 元亀元年 |
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1571年 | 元亀2年 | 8月7日、正親町天皇、徳川家康に、蓮華寺の一宮寺務供僧領などの返付を命ずる。 |
1572年 | 元亀3年 |
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1573年 | 元亀4年 |
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1574年 | 天正2年 | 4月6日、徳川家康軍、犬居攻略の帰途、田能・大窪村で天野藤秀軍および郷民の奇襲をうける(かなりの死傷者を出し、三倉を経て天方城に退く)。 |
1575年 | 天正3年 | 2月27日、徳川家康、小國鹿薗大菩薩(ろくおんだいぼさつ)の社頭一宇を造立させる。神主鈴木源左衛門重勝。 |
1576年 | 天正4年 | 2月、徳川軍犬居へ出陣、勝坂砦(かつさかとりで)を攻め、楢山城を落とし、三倉・天万氏等を在城させる。 |
1577年 | 天正5年 |
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1579年 | 天正7年 | 9月15日、徳川家康、二俣へ天方通綱等を遣わして、信康に切腹を命じる。 |
1581年 | 天正9年 | 3月22日、徳川家康軍、武田方の守る高天神城を攻め落とす。攻撃軍に三倉定次の名が見え、守城軍に加わった武藤氏定は討死、(法名興岩道清)。 |
1582年 | 天正10年 |
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1583年 | 天正11年 | 12月7日、徳川家康、小國鹿薗大菩薩の社頭を造立させる。神主豊前守重勝・勾当観智(こうとうかんち)北嶋孫左衛門秀吉・当社大工高木助右衛門。 |
1585年 | 天正13年 | 豊臣秀吉関白になる。 |
1587年 | 天正15年 | 1月15日、山田七郎左衛門、徳川家康より「駿遠両国鋳物師惣大工職」の朱印状を与えられる。 |
1589年 | 天正17年 |
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1590年 | 天正18年 |
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1573年〜1591年 | 天正年間 | このころ、飯田市場の本立寺が開かれるという。 |
1592年 | 天正20年 | 12月7日、山内一豊、高雲寺に寺中屋敷・山林を寄進する。 |
1595年 | 文禄4年 |
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1597年 | 慶長2年 |
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1599年 | 慶長4年 | 11月11日、小栗吉忠、山田七郎左衛門に金谷などの吹屋の人足役を免除する。 |
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更新日:2019年03月01日