森町関係略年表(江戸時代)

前ページ目次 次ページ

森町関係略年表(江戸時代)

●森町関係記事 / ○備考

森町年表(江戸時代)
西暦年号内容
1600 慶長5年 7月、関ヶ原の戦。
このころ、大洪水によって森の古町が川欠し、宮代塩井の薬師堂が大破する。
1601 慶長6年 この年か、堀尾吉晴・同忠氏、小國宮を分祠し出雲国島根郡照牀明神(てるとこみょうじん)に祀る。
1603 慶長8年 2月、家康、征夷大将軍となり、江戸幕府を開く。
8月28日、徳川家康、一宮神領590石を安堵する。
このころ、太田川流域の大改修が行なわれ、森町村が造られる。また、山梨町もこのころ整備される。
このころ、下天方村(田中村)の開発を村松太郎馬等が進める。
1604 慶長9年 この年、遠州総検地が行なわれる。森町地域は、7月08月であった。
1612 慶長17年 5月28日、徳川家康、大洞院に宛てて天下曹洞宗法度を下し、士峯宗山が駿府城においてこれをうけ、駿河・遠江・三河・信濃等に布達(ふたつ)する。
この年、可睡斎十三世士峯宗山、粟倉村全生寺に隠居、天台宗善正寺を曹洞宗に改宗する。この頃、浜松城主水野重仲、全生寺を造立する。
1615 元和元年 3月7日、鍛冶島村で伊勢踊が流行、4月8日、湯立神事を行なう。
5月、大阪夏の陣、豊臣氏滅亡。
1616 元和2年 2月26日、蓮華寺宣舜法印入定する(黄金塚)。
4月、徳川家康75歳で没する。江戸への使者天方の落合氏と伝えられる。
1621 元和7年 この年、小國神社の社頭一宇が造立され、一宮神主鈴木豊前重長・神宮寺権大僧都豪憲法印が遷宮(せんぐう)を勤める。勾当(こうとう)大庭五郎左衛門等5人の社家の名が見える。
1623 元和9年 中泉代官中野七蔵、一宮勅使御霊社粟倉三社を造営する。
1625 寛永2年 11月5日、薄場村の検地が行なわれる。
1626 寛永3年 6月、天方村(向天方村)と森村、三嶋大明神山の村境について相論。
1629 寛永6年 この年、山口修理亮(進)、遠江・常陸に15,000石余を領し、中田村などを支配、栗倉村等の池を建設する。
1630 寛永7年 このころ、蓮華寺山境の相論があり、森町村鈴木五兵衛・神谷清右衛門、天宮の村松三郎左衛門、粟倉村の北嶋恕雪(彦八郎)などの庄屋が蓮華寺に詫びる。
1631 寛永8年 2月、蓮華寺117世豪憲法印、一宮菩薩について記す。
11月20日、山口修理進が、領内の百姓2000人工をもって雲林寺を復興。
1632 寛永9年 この年、平野部の検地が行なわれる。9月から11月に実施され、出目村が作られた。
1633 寛永10年 この年、山口重政、遠州の領地支配のため、六ヵ条の定書を出す。また、山口修理は、所領内の名主を年行事・月行事に任命するなど、諸箇条を申し付ける。
この年仲春、憎専盛、矢部定政の賛助を得て大日山金剛院を再建する。
1635 寛永12年 11月、幕府、寺社奉行を置く。
1636 寛永13年 この年、森地域の山方で検地が行なわれる。
11月5日、臼場村・亀久保村、月日不詳西俣村実施。
1639 寛永16年 7月、鎖国完成。
1640 寛永17年 この年、幕府、宗門改役を置き、寺請・宗門人別帳を作成させる。
1643 寛永20年 3月、田畑永代売買を禁止する。
5月21日、城下村権七郎が天方8ヵ村の大庄屋となる。
1644 寛永21年 5月25日、天方9ヵ村鮎運上につき、諸役を免除される。
この年、森町村、山口備前守の配下に置かれ、上新町・下新町ができる。
1647 正保4年 この年、天宮新町(高4石5斗9升7合)ができる。
1649 慶安2年 慶安の御触書が幕府によって示される。
1650 慶安3年 閏10月22日、一宮大工棟梁高木五郎左衛門と米倉村三郎兵衛との間で、一宮小國社大工棟梁職について相論となる。
1652 承応2年 この年、森住田辺九郎右衛門吉次、二俣清竜寺の梵鐘(ぼんしょう)を鋳造する。
1660 万治3年 この年、大風7度吹き、大飢饉となる。谷崎村の年貢が軽減される。
1661 万治4年
(寛文元年)
正月13日、森町村で大火があり、本町・河原町・横町などが焼失し、三嶋大明神・梅林院・西光寺まで延焼する(寛文2年説もあり)。
1665 寛文5年 7月、諸宗寺院・神社法度が定められ、一宮社家などの組織が改正される。
1670 寛文10年 6月、一宮5ヵ村と岩室村の境相論が起こる。
1672 寛文12年 9月10日、三嶋大明神が再建され、蓮華寺が遷宮を行なう。
1673 延宝元年 この年、分地制限令出る。
1678 延宝6年 7月、桑原茂左衛門、三倉久右衛門より茶16両余を仕入れる。
1679 延宝7年 8月、土屋氏、周智郡森町村他7ヵ村(天宮村・草ヶ谷村・粟倉村・上河原村・中田村・石川村・橘村)で3000石の知行地を与えられる。
10月8日、土屋主税の知行下に置かれる8ヵ村の庄屋、諸事を訴える。
11月、土屋逵直、草ヶ谷村に陣屋を構える。
この年、横須賀三熊野神社の遷宮にあたり、一宮より舞楽を奉納する。
1689 元禄2年 この年、小國神社と可睡斎が高雲寺後住の件で相論。
1691 元禄4年 12月、山田七郎左衛門、江尻宿山田六郎左衛門・芹沢善兵衛を訴える。
1693 元禄6年 6月、渇水につき片瀬村と大久保村・谷崎村水論。
1695 元禄8年 この年、下天方村で円田用水8ヵ村用水絵図が作成される。
1697 元禄10年 12月8日、一宮小國事任神社が造営。西尾隠岐守が奉行し、神主鈴木重玄が遷宮を行なう。
12月9日、天宮大明神が修営され、西尾隠岐守が奉行、神主鈴木重玄が遷宮を執行する。
1698 元禄11年 3月、旗本高木氏・松平氏・鍋島氏・皆川氏、知行地を遠州に移される。
1699 元禄12年 この年、元禄国絵図作成が命ぜられ、森町村・粟倉村などから絵図を差出す。
1701 元禄14年 11月、天宮神社に俳額奉納、献句者34人の大半が森町域の人であった。
12月、赤穂浪土の吉良邸討入に際し、森町村外7ヵ村の知行主土屋主税、提灯をかかげてこれを援助するという。
この年、土屋主税、粟倉大明神祭祀料として1石6斗7升を安堵する。
1705 宝永2年 9月15日、飯田村と上川原村が、太田川の川原境について相論する。
1708 宝永5年 この年、富士山が噴火し、谷川村も地震や地鳴(じなり)にみまわれる。
1713 正徳3年 4月、幕領の大庄屋・割元惣代を廃止する。
1716 正徳6年 この年、享保の改革始まる。
1718 享保3年 2月、天宮神社の祭礼田について、村民より神宮寺良円・鈴木左近に本証文が出される。
この年、高平山遍照寺大日如来坐像が造立される(惣大工森町住山田七郎左衛門藤原種満)。
1721024 享保6~9年 このころ、土屋主税の草ヶ谷陣屋が、森の西脇に移される。
1723 享保8年 11月、新田開発奨励のため、代官見立新田の年貢10分の1をその代官に支給。
1726 享保11年 7月、宮代村と谷崎村が取水場をめぐり相論。
1727 享保12年 7月8日、飯田村辺大水、所々破損。
1729 享保14年 7月、粟倉村・谷川村等、円田用水を巡って相論。
1732 享保17年 9月、飯田牛頭天王社の社頭が修造され、一宮神主が遷宮を勤める。
この年、享保の大飢饉起こる。
1734 享保19年 2月、粟倉村・草ヶ谷村・上河原村の百姓困窮を訴える。
1735 享保20年 6月、梅林院、庵山山麓へ移転し、住僧素民が造営記録を記す。
1736 元文元年 9月8日、思案坊権現(しあんぼうごんげん)に正一位が授けられる。
1745 延亨2年 12月、大洞院と崇信寺の間で本末改につき相論が起こる。
1747 延亨4年 7月、鴨岡村用水、飯田村に支障を来したことについて同村が訴える。
12月、遠江・駿河・信濃等の勧進によって一宮小國神社が造営される。
1749 寛延2年 5月、定免制を全面的に施行。
9月、鴨岡村・飯田村水論、江戸表へ出訴する。
1751 寛延4年 この年、北見新田後割の畝歩(せぶ)が改められる。
1755 宝暦6年 この年、森町村の太田忠右衛門ら、下河原に新田開発計画を立てる。
1757 宝暦7年 5月、大雨のため出水、鴨岡村で堤防切れ、所々大いに損じ、稲苗腐り、農民多く苗もらいに出る。
1758059 宝暦8年~9年 この年、山村では食糧に窮(きゅう)し、ワラビ・クズなどの山菜類を食べ、飢を凌ぐ。
亀久保村大飢饉、病人10人、飢死27人。
1760 宝暦10年 11月、三嶋神社の社頭が修復され、神主太田文三郎などが仕える。
1771 明和8年 5月、伊勢御蔭参り盛行。
1776 安永5年 9月、蓮華寺本末分限帳に末寺として天宮神宮寺が見える。
1777 安永6年 7月、一宮例祭における夜灯奉献の上下について粟倉村と宮代村が争う。
1782 天明2年 7月14日・15日、地震。
この年、円田平野虫害不作につき夫食要求。
天明2年ころ 雪中庵三世大島蓼太が江戸深川の芭蕉庵において会席を設け、以席・蓼主・菊平の3人と歌仙(俳諧)を巻く。
1783 天明3年 4月、小國秀穂(重年)内山真竜に入門。
〇この年、諸国大飢饉。
1784 天明4年 この年、土屋氏、知行地森町村を除く7ヵ村に村鑑明細帳を差し出させる。
1785 天明5年 この年、山田七郎左衛門種次、大洞院龍門橋の擬宝珠を鋳造する。
1786 天明6年 7月、諸国大凶作。
1787 天明7年 7月、寛政の改革始まる。
この年、雨続きにて不作(諸国大飢饉)。
1788 天明8年 5月、幕府巡見使(じゅんけんし)が森町を訪れ、山中家等が接待する。
1789 寛政元年 8月、小國重年、本居宣長に入門。
1793 寛政5年 7月、野田松三郎など、大念仏一切停止を周智郡外3郡に触れる。
1796 寛政8年 この年、小國重年『三大追考』『まねび草千々のゆゑよし』を著す。
この年、中村乗高『事実証談』の撰集を志す。
1798 寛政10年 2月、山田七郎左衛門、真継家より鋳物師職定書を得る。
1801 享和元年 2月、小國重年『長歌詞珠衣』6巻を著す。
1803 享和3年 この年、大須賀陶山(鬼卵)、『東海道人物志』に鈴木豊前・堀尾右膳・鈴木彦兵衛・山田周造・中村兵庫・中村斎宮・北嶋権右衛門などを記す。
1806 文化3年 1月、小國重年『六国史皇統記』を著す。
1808 文化5年 2月、山田七郎左衛門、真継家より鋳物師職座法掟を得る。
1811 文化8年 7月16日、南鳳寺(森月)の法印秀光が錦地職となる。
1815 文化12年 8月、森町村の用水路について森町村と天宮村が相論。
1818 文化15年
(文政元年)
3月、飯田金毘羅山(稲葉山)が造営される。
3月、院内の竹林山南閣院の柴燈(さいとう)護摩壇が森の檀那を中心とする寄進によって構築される(平成8年1月21日消滅)。
8月、中村乗高の『事実証談』成る。
1819 文政2年 1月、小國重年没する(52歳)。
1824 文政7年 閏8月、安倍郡・志太郡・周智郡・榛原郡・豊田郡の計113ヵ村が茶押領1件(文政の茶1件)につき提訴する。
1826 文政9年 この年夏、旗本勝左衛門太郎小吉(海舟の父)中村乗高屋敷に逗留。
1829 文政12年 1月、草ヶ谷村・粟倉村・中田村・石川村が3ヵ月の見附宿加助郷を命じられる。
1830 文政13年 閏3月、伊勢御蔭参り流行し、7月、森町村へ伝わる。
1831 天保2年 11月、幕府、諸国の石高を調査する。
このころ、田原茂斎の『賀莚雲集録』に、国学・画山中勘左衛門(豊平)、歌中村宇兵衛(豊足)・天方彦蔵(利泰)・和歌梶(堀尾)右膳を収録。
1832 天保3年 7・8月、円田用水における水争いが起き、諸国大凶作、天保の飢饉始まる。
1833 天保4年 この年、大井用水分水につき草ヶ谷村へ堰築立争い。また不作・飢饉により年頁30040パーセント減免される。
1834 天保5年 12月、山中豊平『遠淡海地志』8巻を著す。
1836 天保7年 この年、2月中旬より雨しげく、3・4・5・6・7月と降りつづき、3日と晴天はなく、8月13日の大塩風により大打撃を受け、百年来の不作となる。諸物価大暴騰。
1837 天保8年 2月、飢饉につき森町村・草ヶ谷村小前百姓、救い米・延納米を要求し、首謀者処罰される。
3月、大塩平八郎の乱(2月)の情報、草ヶ谷村にも伝わる。
1838 天保9年 3月21日、幕府巡検使が森町を訪れ、諸事を巡視する。
この年、山田七郎左衛門、法多山の鐘を北谷の吉右衛門前で鋳造する。
1841 天保12年 4月、山田七郎左衛門、岡野五郎左衛門に双盤鋳造を許可する。
5月、天保の改革始まる。
1842 天保13年 7月、谷川村・宮代村・米倉村が20ヵ年の見附宿の宿付助郷を命じられる。
1844 天保15年
(弘化元年)
3月、太田川沿いの新田開発につき、草ヶ谷村が奉行所に訴える。
森町村の松本治郎が太田川で甘柿の苗を拾って自宅に植える(治郎柿起源)。
1845 弘化2年 9月、森新町の若者、掟を書写して組織の団結を図る。
1846 弘化3年 2月25日、天宮神社祭礼に、鈴木左近が神事奉行を勤める。
1847 弘化4年 5月1日、飯田村彦兵衛ほか、四天王寺東儀出羽守について篳篥(ひちりき)を習う。
1850 嘉永3年 松平弾正、秋葉山参詣につき、森町を通行する。
1851 嘉永4年 春、粟倉村蘭方医北嶋三託(重平)、浜松の竹村氏等に種痘を行なう。
1852 嘉永5年 閏2月、森町報徳社結成。
1853 嘉永6年 6月ペリー浦賀に来航。山田七郎左衛門、田中藩発注の大筒を鋳造する。
9月14日、新村里助など安居院庄七とともに二宮尊徳に日光で面談。
1854 嘉永7年
(安政元年)
11月4日、大地震、里方は崩壊し、山方は残る。
城下村では、各所で土蔵が崩壊し、井戸は液状化現象によって泥水を吹き出した。飯田村では、家屋のほとんどが倒壊した。市場村松孫兵衛、この災害記録を残す。
1856 安政3年 3月3日、日米和親条約締結。
1858 安政5年 6月19日、日米修好通商条約調印。
7月、城下村・天宮村・森町村・草ヶ谷村・上河原村・天方村・粟倉村・谷崎村・片瀬村・中田村・石川村・戸綿村が15ヵ年の袋井宿余荷助郷を命じられる。
9月、安政の大獄始まる。
1860 万延元年 3月、桜田門外の変起こる。
11月、穀物騰貴(とうき)、山方の村民、城下村まで徒党を組んで襲来、首謀者入牢。
1862 文久2年 閏8月、西俣村・赤根村・問詰村・鍛冶島村・上福田地村が15ヵ年の見附宿代助郷を命じられる。
1863 文久3年 10月、森町祭礼において争乱が起こり、土屋氏知行7ヵ村が仲介して和睦する。
1864 元治元年 この年、土屋氏第一次長州征伐従軍につき、軍資金・夫役を知行地の村民に賦課し、村方難渋する。
1865 元治2年 3月、米倉村・谷川村・宮代村が見附宿当分助郷を命じられる。
3月、牛飼村・亀久保村・葛布村・薄場村・橘村・大鳥居村が日坂宿当分助郷を命じられる。
1865 慶応元年 5月、大河内村・鴨岡村・田中村が見附宿当分助郷を命じられる。
1867 慶応3年 5月、森町報徳社再興。

    前ページ目次 次ページ

お問い合わせ

社会教育課文化振興係
電話:0538-85-1112