9 律令国家と森

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9 律令国家と森

 中央集権国家の確立は、大化改新を契機とし、701年の大宝律令によって朝廷の命令が各国−郡−里(り)へと伝えられるようになった。国府(磐田市中泉)には政庁が置かれ、のちに国分寺も建立された。
 これ以前、遠江国内は 遠淡海国造 ( とおとうみのこくぞう ) ・ 久奴国造 ( くどのこくぞう ) ・ 素賀国造 ( そがのこくぞう ) ・ 佐夜直 ( さやのあたい ) などの地方豪族が支配するところであり、森町周辺は久奴国造 物部氏 ( もののべし ) の配下にあったと「 国造本紀 ( こくそうほんぎ ) 」は伝えている。飯田と戸綿の境界付近の山稜にあった 平子 ( ひらこ ) 廃寺(伝 行観寺 ( ぎょうかんじ ) )は、こうした豪族層の 末裔 ( まつえい ) の氏寺とみられ、豪族層の掌握と当地に仏教が伝来したことがこの遺跡によって理解される。
 周智郡や小國神社が初めて記録に見えるのは、840年(承和7)で、 周知 ( すち ) 郡内の小國天神が従五位下を授かったことが「続日本後紀」に記されている。

このほか同郡内には、「延喜式(えんぎしき)」神名帳記載の 原河内神社(はきはらのこうちのかむやしろ)(天宮社カ)・馬主神社(むまぬしのかむやしろ)(字刈神社カ)もあったが、その所在地は明らかではない(『天宮山郷遺跡発掘調査報告書』)。
 「 和名抄 ( わみょうしょう ) 」には、「 小山 ( おやま ) ・ 山田 ( やまた ) ・ 依智 ( えち ) ・ 大田 ( おおた ) ・ 田椀 ( たまり ) 」の5ヶ郷が 周智 ( すち ) 郡内の郷名として見え、現在の森町や袋井市の北部が周智郡域であったとみられる。
 周知郡(すちぐん)衙(が)の所在地は、確定できないが、袋井市上山梨の稲荷領家遺跡出土の「九周」・「知」の墨書土器、また、春岡遺跡出土遺物が郡衙所在の有力な資料となっている。また、周智(周知・洲地)の語源は、太田川の洲にある貢納地を意味しているのであろう。

(5)平戸廃寺出土瓦
平戸廃寺出土瓦
(森町教育委員会保管)

(6)森町内から出土した奈良時代の遺物
森町内から出土した奈良時代の遺物
(森町教育委員会保管)


図−13
周智郡域想定図
周智郡域想定図


周智郡郷一覧表 





小山(おやま)郷  袋井市小山は、現在平地であるが、太田川の中州であったとみられ、小山郷は今井付近をいうか。
山田(やまだ)郷  山田は山処ともいう。山合の地域をいうか、袋井市三川に山田がある。 
依智(えち)郷  依智は江知か、江とは船行する水路で、一面の湿地を意味し、山梨付近をいうか。
大田(おおた)郷 森の町を大田郷という。その後に森郷、そして森町村と変わる。 
田椀(たまり)郷  田椀はタマリで、水溜の地域か、小薮(養父(やぶ))川流域は開発以前は一面が湿地。

袋井市宇刈や山梨周辺と森町南部の条理は整合する。 

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