8 院内古墳群と横穴

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8 院内古墳群と横穴

これまでに森町で発見された270基余りの古墳や横穴は、大部分が6世紀後半から7世紀の終わりにかけて造られたものである。これらは、狭い範囲に群をなして造られる場合が多い。
典型的な例は、 観音堂 ( かんのんどう ) 横穴群 ( おうけつぐん ) や 谷口横穴群 ( やぐちおうけつぐん ) に見られる。ここでは2基から4基が1つの単位群をなし、1基の横穴に、数人から多いものでは12、3人が埋葬されていた。副葬品は、 大刀 ( たち ) や 刀子 ( とうす ) ・玉などのほか、 須恵器 ( すえき ) と呼ばれる焼き物が一般的で、有力な家や世帯の家族墓ととらえられる内容である。
しかし、昭和5年と6年にあいついで発見された 院内甲墳 ( いんないこうふん ) ・ 乙墳 ( おつふん ) 、観音寺本堂 横穴 ( おうけつ ) では、あざやかな金色に輝く 鞍 ( くら ) や 飾大刀 ( かざりたち ) が出土して人々を驚かせた。

院内甲墳・乙墳は墳丘径10メートルの小型円墳、観音寺本堂横穴も横穴群の中の1基で、いずれも外見上は周囲の古墳や横穴と何ら変わりはない。院内甲墳と乙墳の2基は、6世紀の終わりから7世紀前半にかけて、同じ丘陵の尾根上に隣り合ってあいついで造られている。
豪華な副葬品は支配者のシンボルである。優秀で装飾性の高い馬具や飾大刀が出土した院内古墳群は、ここに葬られた人物が武人であり、畿内(きない)の軍事政権と強い関わりをもっていたことを物語っている。そして、同じ性格の人物が、ほぼ同時期に2人存在することから、院内古墳群を造営した人々は、武人的な職能をもった集団であったと考えられる。

(1)観音堂横穴群
観音堂横穴群
観音堂横穴群は、23基が四つの小群に分かれて造られている。 小群はさらに2〜3基で一つの
まとまりをなす。 写真では、横穴の造られている位置と高さにその単位群の違いがあらわれている。 (森町飯田)

(2)装身具
装身具
谷口横穴E−Ⅰ群1号墳からは、玉・金環(きんかん)・釧(くしろ)が出土している。 (谷口横穴群 飯田)

(3) 鉄鏃 ( てつぞく )
鉄鏃 ( てつぞく )
鉄鏃は、古墳時代全体を通じて副葬されている。 (観音堂横穴群飯田)


 

(4)須恵器
須恵器
6世紀以降は、須恵器と呼ぶ酒器や食器が副装品の主流を占める。 (円明寺3号墳 森)

(13)院内古墳群遠景
院内古墳群遠景
院内古墳群は飯田小学校の東側の丘陵上に分布している。
乙墳の石室は、今も茶畑の中に残っている。 (院内古墳群 森町飯田)

(5)鶴の線刻壁画
鶴の線刻壁画
墓室の左壁に、やりがんなのような彫刻刀を用いて
自由画風に描かれている。 (観音堂横穴3号墳 飯田)


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