6 弥生時代の森

前ページ目次 次ページ

6 弥生時代の森

2300年くらい前に、米作りの技術が日本に伝わってきた。この後、1700年くらい前までの間を、弥生時代と呼んでいる。
この時代、どのような場所で生活していたのだろうか。縄文時代には、森町北部の吉川や三倉川の近くでも、人々は暮らしていた。弥生時代以降になると、南部の太田川や一宮川の周辺で生活するようになる。米作りに都合の良い場所へ、移ったのだろうか。吉川・三倉川地域に再び人々が暮らし始めるのは、12世紀になってからである。
森町で発掘された弥生時代の集落は、比較的高い場所にある。 奥谷田 ( おくやだ ) Ⅰ遺跡では2軒の住居跡が、 稜線 ( りょうせん ) 上で見つかっている。

西平子(にしひらこ)遺跡では、23軒の住居跡が発掘されたが、建て替えの様子から、同時期に建っていたのは5〜8軒だったと推定されている。ここでは、畑作をしていたのかも知れない。
死者が埋葬されている墓の形は、時代やその人の地位によって違っている。周囲より盛り上がって見える墳丘墓(ふんきゅうぼ)(峯山台状墓(みねやまだいじょうぼ)など)・土器に死者を納める土器棺墓(如仲庵(じょちゅうあん)遺跡など)・地面を掘った穴に埋葬する土壙墓(どこうぼ)(奥谷田Ⅰ遺跡など)などが知られている。死者と共に、銅製の腕輪や玉などの装身具を、一緒に埋葬したものも見られる。もちろん、何もされずに死んでいった人たちも大勢いたが、こうした差異は次の古墳時代により強く引き継がれていく。

図−8 縄文・弥生遺跡分布図
縄文・弥生遺跡分布図

(1) 如仲庵 ( じょちゅうあん ) 遺跡の土器棺
如仲庵 ( じょちゅうあん ) 遺跡の土器棺


(2)奥谷田Ⅰ遺跡全景/図−9 遺跡遺構配置図
奥谷田Ⅰ遺跡全景遺跡遺構配置図
せまい稜線に弥生時代から古墳時代にかけての住居や墓が営まれていた。 (森町中川)

 

(3)西平子遺跡の住居跡
西平子遺跡の住居跡
竪穴式住居が、何回かくりかえされて建て替えられていることが判る。 (森町飯田)


(4)如仲庵遺跡出土の銅訓
如仲庵遺跡出土の銅訓
死者の腕につけたまま埋葬されたらしく、1人に対する数としては全国的に多いといえる。 (森町飯田)

(6)峯山台状墓出土の土器
峯山台状墓出土の土器
これらの土器は、木棺墓から出土したものである。 (森町教育委員会保管)

(5)善千鳥2号墓
善千鳥2号墓
円形の墳丘の中心に死者を埋葬した木棺がみられる。 (森町一宮)

(7)峯山台状墓
峯山台状墓
木棺4基、土壙(どこう)2基、土器棺1基が発掘された。 (森町飯田)


前ページ目次次ページ

お問い合わせ

社会教育課文化振興係
電話:0538-85-1112